Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

インターネット

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国家の革命をも成就させるほどに発達したインターネットの情報ツールは、そんなたいそうなことではなくとも、孤立している今の生活に、元気を分け与えてくれる役目を果たしてくれています。だけど首都圏の被害状況を知るに至っても、こちらも何もしてあげられない無力さも味わうのです。まあそこはほんとに、空元気ででもお互い頑張りましょーと言うしかない。

あちこちのツイートやブログを見ていて、やれやれと思うことや、ぶっとばしてやりたくなることを書いているものもあるのだけれど、見に行かなければすむことをつい見てしまうのも、自分でもさもしいなあと恥ずかしい限り。しかし共通の事象に面していながら、まだ余裕と猶予があるという地域の情報も入ってきてしまうのが、インターネットの世界なんですね。節約の話を書き出していながら、実は所有している資産の自慢話をしたかっただけの大ばか者から、政策の不手際を専門に叩いてくる正義感のつもりでも大局は見なかったことにしている小バカな記事まで、いろいろです。これらが入り混じると、正論までもが穿った見方をされていないかと心配になります。といって、自分もブログというツールによって好き勝手なことを書いているのだから、これが癇に障る人もきっといることでしょう。そこはもう、ごめんなさいとお断りするしかないのですが・・・

被災以来、絵日記のように楽しみ、そこそこ工夫をしてきた挿絵をやめたのは、それほど大した意味ではないのですが、仕事で被災地を歩いて・・・僕がうろちょろできる範囲は不幸中の幸いにも修羅場の土地ではありませんが・・・それでも今の仙台の風景を、自分のブログで見せたいとは思えなくなったのです。テレビの特番で散々見せ続けられた瓦礫の山や泥の海と同じ風景を、なんで個人の好き勝手な書き殴り文章に添えられましょうか。未だに続く大小の余震を受けながら、誰かが怪我をしたり亡くなられた現場を毎日見ていると、ネットの中でまで、違う土地での似たようなスチルを見せられるのは、きついですよ。我々はスポークスマンではないのですから、そこまで頑張ることはないと思います。

一方で、ありゃっと思わされるところで、僕自身のことを案じてくれている記述を見つけると、逆位相で胸がしめつけられます。ありがとう、うれしいです。だけど、最近のネット環境は功罪入り乱れてセキュリティの壁も立ち上がっている。そこに登録してログインしないと、お礼のコメントも書き込めない。SNSという環境になじむことができない、古い体質の自分が問題ではあります。うちのサイトの掲示板も、このブログも、不正な書き込みやスパムの類はブロックしたり削除したりを手作業でやっていますが、可能な限りどなたでもコメントできる環境でありたいからです。

阪神・淡路大震災のころのインターネット環境は、今のそれとは少し違っていたような気がします。もっとも当時だと万人のツールというわけでもなく、役所や企業、大学の枠組みで構築されていた時代でしたか。神戸の被災状況をスチル入りで情報発信している大学の研究室に、新聞社だったかが「そのスチルと記述を使わせていただきたいのだが、どういう手順を踏まえればいいか」と問い合わせたところ、「変なこと言いますね。インターネット上の情報は共有して活用されるべきものだと思うけれど」と返答が返ってきたっていうエピソードは、著作権法のなかったころの、それこそ都市伝説なのかなあ。SNSの時代になってから、そういったオープンなネットワークとは異なるものになったような感じがします。

僕はもうしばらく、ログインしたきゃ登録者になれ、という世界とは距離を置いて、どこかの馬の骨でいたいと考えるのです。