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  ~懲りない傾向~

29年前のニーズ 前編

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y0eニュージムニープロジェクト。それは2サイクルエンジンから4サイクルエンジンへと進化する画期的な結実を見るのですが、ESCLEVでその経緯について触れるつもりはありません。その時代、既に小型車枠のジムニーには4サイクルユニットが積まれていましたから、いきなり書き出しが破綻します。

しかし現在も根強い人気のSJ30が3型にマイナーチェンジした頃、メーカーでは軽規格の4サイクル化とは別の、ニュージムニー開発の動きがありました。それは4サイクルユニットの搭載にとどまらず、つまり二代目ジムニーの系譜というJA71への進化ではない、フルモデルチェンジの可能性を内包していたのです。

という部分は、あくまで想像です。なんせジムニーに関しては、今では門外漢の僕ですので、あれこれ語る知識を持ち合わせていません。それでも、モデル末期と評されたSJ30を「三代目」に移行させようというプロジェクトは、現実に立ち上げられ、そのための会議は実際に招集されたのです。

ところがこの会議は、たった一度の議論で根底から覆されることになりました。

「いま、ジムニーをモデルチェンジしたとしても、新型は簡単には売れない。それほどにSJ30を気に入っているユーザーは多い。それでもこのユーザーが『次はこんな四駆に乗りたい』とステップアップを考えていることは間違いない。その『次』を他社に奪われないような四駆を作らなければいけない」

この一言で、ニュージムニープロジェクト会議は、第二回目の招集から、新型4WD開発会議へと呼称が変えられ、Y0E(ワイ・ゼロ・イー)というコードが与えられます。この頃、ダイハツが「ラガー」を発売。トヨタからは「ハイラックスサーフ」「ランクル70系ワゴン」が発売されるなど、四駆の世界は群雄割拠。2年後には日産が「テラノ」を生み出してきます。三菱のパジェロでさえ、ボディーにスタイリッシュなコンセプトを用いた二代目を登場させるのが91年。質実剛健のさなかと言える時期でした。

そのような時代、「ジムニーユーザーが次に乗りたい四駆」をどこへ持っていくのか。1000ccモデルを繰り出していたとはいえ、斬新な発想やアイデアが伴わなければ、他社と渡り合うことはできなかったのです。