ホープスターON型が無ければ、はたしてジムニーの誕生があったかどうか。これはそのままエスクードの誕生にもつながる、スズキの4輪駆動車のつながりと言えます。よくよく考えてみると、骨格はそれぞれ受け継がれて誕生している車。
乱暴なことを言うとエスクードなんて何割かはジムニーそのままだし、ジムニーだって元をたどればよそのメーカーが開発したものがベース。それを言いかえれば、現行型のエスクードこそ、3代目にして初めて、他のプラットホームに依存しない新機軸を、初めて実現したモデルなのではないかと思います。そういう視点で解説するメディアは、実はあまりいないようです。
29年前のユーザーニーズによって生み出された初代エスクードは、ニッチだ隙間だと言われながらも、結果的にはコンパクトクラス、ライトクロカンといったジャンルを確立しました。しかし、中編で「ありそうで無かった」と書きましたが、それはあくまでスズキの中での話です。1600クラスの四駆がそれまで存在しなかったわけではなく、エスクードの誕生と同じことは、1970年代にすでに起きています。
ダイハツによるタフトの登場は、まさにトヨタランドクルーザー、日産パトロール、三菱ジープとジムニーの間を埋める、驚きの発想でした。タフトの車体をみれば、軽自動車とさほど変わらないディメンションであることがわかるでしょう。歴代モデルでは、ここに1000~1600ccのガソリン仕様と2500~2800ccのディーゼルエンジンが載せられました。テンロクのガソリンエンジンはトヨタから供給されたもので、タフト・グランと呼ばれるようになります。
そのまま、エスクードの歴史と同じです。
ところがタフトの後継車、ロッキーが、エスクードより2年あとに登場したことが、ダイハツにとっては良い方向に転じなかった。質実剛健路線からの逸脱が、世の中に受け入れられてしまったのです。いや、質実剛健の世界が四駆のそれであったからこそ、キワモノとも言えるエスクードが受けてしまったと言った方が適当でしょう。29年前の発想と路線転向は、スマッシュヒットをきっちりと当てていったのです。
しかしその車づくりの闊達な手法が何処で薄れたのかが、その後のモノづくりとは裏腹に時代を見違える、メーカーの姿となっていきます。ダイハツがロッキーの次に送り出してきたテリオスとテリオス・キッドは、言ってみればジムニーの軽規格と小型車枠と同じ考え方でしたが、クロカン四駆からSUVという次世代ジャンルを引き出す大胆な試みを果たしました。さらに海外モデルは別として、テリオスシリーズがコンパクト路線を維持したことが、大きなエポックになっていきます。
その頃、2代目へスイッチしたエスクードは、やがてグランドエスクードへと大型化し、車格をひとつ上へと進化させ、3代目へと移行していきます。一方ダイハツは親会社の意向が抑止力となっていたのでしょうか。大きな車を作る力は持っていたと思うのですが、テリオスシリーズの後継車は、ヴィーゴとなるわけです。狭いと言われたエスクードを大きくしたらでかいと言われ、ちょうどいいサイズならヴィーゴだとまで言われるこの車のディメンションが、初代のノマドとほぼ同じというのは、実に象徴的です。
29年前、先読みをしようとしたニーズの聴取層は、ジムニーユーザーだと言われていました。それはつまり、単なるジムニーユーザーというだけではなくて、国内のユーザーを念頭に置いていたからではないでしょうか。世界戦略という3代目の売り込み戦術に、この思想が盛り込まれていても、ニッポンのクルマという受けは通用したように思います。