「車体寸法、足回り構造、エンジンの排気量と総重量など、すべて私が提案しました。ジムニーを拡大してオンロードも快適に走らせるとなれば、自然とTA01Wのスタイルになる。デザインは担当リーダーの仕事で、当時はエンジン、ボディ、デザインなど分担された項目をそれぞれ1人の責任者が一貫して任されていた。だからクルマがまとまっていくのも早かった」
エスクードの父。と呼ばれる二階堂裕さんの談。それが1984年当時に議論されていた、新型小型4輪駆動車の基本設定でした。この時期、ジムニーはSJ30が登場していましたが、意外にも短いモデル末期にあります。
SJ30といえば「タフ&ニート」という振れ込みによって、ジムニーに多様性をもたらしたモデルの始まりとも言える(のかもしれない)でしょうか。わずかな期間しか所有したことがないので評論できる知識も記憶もないのですが、これを譲ってくれた四駆の師匠が乗っていた、それ以前のジムニーに比べると、外観においてはアクの強さはかなり和らぎ、逆に、だからこそ2代目ジムニーのスタイルが長く踏襲されていくきっかけを作っていたと思います。
確実に女性ユーザー層を視野に入れている。変遷を見ても、マイナーチェンジの内容はジムニー枠の中での上質化を図っています。そして多様化の反面バリエーションの整理も行われますが、屋根付き、幌屋根という車体構成はきちんと維持され、後に軽自動車排気量の拡大によるJAシリーズへ移行するルートと、小型車としての1000や1300への派生も行われます。
これをそのまま放置しておくと、ジムニーは80年代末期に、ひょっとすると小型車枠で大きく進化していたかもしれません。事実、JA51に載っていたG13A型エンジンは、1600ccに格上げとなりました。テンロクジムニーという路線が、実は敷かれようとしていたとも考えられるけれど、そうはならなかった。
「ジムニーユーザーが次に乗りたくなる車」
二階堂さんのその提案が、すべてを決定していくわけですが、なぜ1500ではなく1600だったのか。ここは今でも興味のある部分です。
「開発着手時点で、ロングボディの構想もあったし、ピックアップも考えられていた。ピックアップトラックは現実的じゃないねと抹消されたけれど、ロングはノマドとして追加実現したでしょう?」
この車体バリエーションにおいて、理想的なパワー・トルクはテンロクという結論がなされたそうです。ただしG16Aに関しては、失敗するかもしれないという懸念があったとのことで、もしだめだったらG13Aをエスクードに載せる話も進んだ。実際に北米では、1300のエスクードがリリースされています。
G16Aは、1型だけが8バルブでシングルポイント点火式の構造。どっかんターボのJA71から乗り換えたときには、中低速トルクの太さで乗りやすい半面、テンロクってこんなに上が伸びないのかなあ。やっぱりそこがクロカン四駆の端くれってことか。と勝手に納得していました。
これが2型においてカムはシングルのまま16バルブ化され、点火はとりあえずマルチポイントっぽくなり、程度問題ながら高回転が使えるようになりました。トルクもそこそこに出ていたことから、ノマドの登場を見ることとなります。しかし2型を搭載したハードトップやコンバーチブルは、クロカン四駆とはちょっと異なる世界をも与えたように思います。
ところが、それをジムニーとして考えると、まずそんなのはジムニーじゃないだろう、という考えが浮かぶのです。今なおSJ30をこよなく愛する(たぶん)二階堂さんにとっても、さらなる乗用車化を、ジムニーではやりたくなかったというのが、なんとなく根っこのような気がしてなりません。
そうこうしながら新型の小型4輪駆動車は誕生するわけで、ありそうで無かった「1600ccクラスのコンパクトでありながらメーカーフラッグシップ」が世に出てきます。出来栄えは、当時の品質ですから推して知るべきですが、ひとつの完成形としてスタイルを定着させていたジムニーから一歩先を踏み出そうとしたデザインは達成しました。