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  ~懲りない傾向~

歴史の綴り SUZUKI百余年

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historySSC出版から「HISTORYofSUZUKI」なるムック本が贈られてきました。特別付録として、ナンバープレート用サイズのSボルト2本がついて1900円税別。浜松のスズキ本社に併設されたスズキ歴史館所蔵の貴重な機織り機から、2輪、4輪のダイジェスト紹介に始まり、モノづくり企業として歩んできたスズキの歴史が歴代社長や分野ごとにまとめられた、読み応えのある一冊です。

Sボルトとは、エンジンシリンダーヘッドやサイドブレーキなどに使われていたメーカーアピールのSマーク刻印入りボルトのことで、昭和40年代のスズキの車両には標準使用されていたものだそうです。詳細は同書巻末に解説があります。

このSボルト解説の冒頭には、スズキの紅のSマークのデザインの由来、そのデザインのヒントになった日本酒のラベルについてのエピソードがあります。近年のエスクードユーザーの多くが、フロントグリルのSマークが嫌いだと、軽自動車主力メーカーの車に乗ることを恥ずかしく思ってかの声を上げますが、このようなエピソードをぜひ読んでほしい。それでもなおかっこ悪いし嫌いだというのであれば、むしろエスクードには乗るべきではないと、言ってあげたいと感じた次第です。

その視点を同書に向けて目を通してみると、スーパースージーがサブタイトルにジムニー・エスクード専門誌とうたっていながら、どう切り開いてもジムニー本を作る編集部がまとめた本になっていることも見てとれます。実際、読み応えがあるので、重箱の隅をつつくように、エスクードの分野にのみ絞ってこれを指摘します。

エスクードに関する記述は、ジムニーの輸出仕様であるサムライが、北米において横転しやすい車両だという吊るし上げを受けた問題を経て、サムライに代わるブランニューとして登場したことから書き出されていて、1600からスタートして2000、2700のグランドエスクードへと成長したことが記載されています。

あれっ? 3代目のことはばっさりと切り捨て? なぜ?(ただし年表にだけ2005年のモデルチェンジという記録は載っています)

モノづくりの観点で言えば、初代エスクードはそのフレームがジムニー譲り。エンジンのG型とてサムライ、ジムニー1300のG13Bの進化と言っていい。ジムニーだって、極論を立てればホープスターON型4WDという、他社が開発したベースモデルから誕生した車なのです。これに対して、3代目エスクードは2代目以前の骨格には依存せず、ほぼすべてがスズキのモノづくりから生み出された車両です。デバイスとして買い付けに至ったESPよりも、メーカーとして研究してきたカム式LSDの方が高く評価された経緯すらあるのです。

その、メーカーとして初めて無垢の四駆を作り上げた実績が、丸ごと抜けているのはどういうことか。

メーカー内でのお荷物的な位置づけからオミットされてしまったのか、ユーザー層の正当な評価が得られていないからなのか。真意は判りませんが、フラッグシップという言葉は、Dセグメントとして誕生したキザシに持って行かれてしまったのです。冗談ではない。GMの基本設計とはいえ、エンジン排気量は3200ccを搭載するに至った歴史を、エスクードは有しているし、小型車枠から抜け出たというのであれば、グランドエスクード以前にTD61WのV6‐2500の初代がある。モノづくりの歴史を綴る書籍の編集に対して、それらをマニアックな指摘だとして一蹴することはできないと思います。

 

 

うたかたの空耳

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庭の空天とか、地とか、人とか・・・

誰かが呼んでいるような。

とどろく叫びを耳にして!

・・・耳にしてですね。

「それは夢だし幻だし空耳なのだばかものっ」

って、一刀両断にされたらかわいそうじゃないですか。

十三穀米とトマトハンバーグのプレートってやつを食ってみたいだけなんです(いやー、これ写真通りの盛り付けなら費用対効果の高いヘルシーさだわ)

でもまだ半分寝たきり(なんか変な言い方)だから、お店の座席に座っていられるのかどうか不明なのです。

今度の土曜日あたりを目標にするか。

 

笑わねば

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退院んー・・・

筋力がた落ちだ。

さてさて帰ろう。

ちょほいとまちなはぁ(いや全然意味はありませんが)

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至福一曲、歌わせてもら・・・いませんけどね。

ああっ、すいませんっ、でも

一服、喫はせてもらふぜへぃ!

 

なんのことだか分らなかった人のために・・・ならないですが。

眠れない夜と雨の日には

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mnb仕方なく仕事の書類を整理するのです。そりゃーまちがっても『闘病(笑)ブログを読んだと思しき、家内も知らない更に過去の彼女から、サイトアドレスにメールが入ってきた話』なんか書きませんよ(いやいやびっくりしたね)

9時消灯の信じられないけど世間と病院の常識にも慣れて、夜中にもなっていないのにこんな状態で仕事をしたり原稿書いたり、うつ伏せから横向きに寝返りセルフリハビリなんかもやりながら過ごすわけです。周囲のいびきは、いびきはまあ人のことを言えないのですけど、これを回避するためにパソコンにイヤホンを接続して、小さなボリュームで音を流しています(といってもこれは一例)。

ベッドという環境は、作戦室には無い優れた居住性で、これは絶対に夜は寝なきゃダメだろうと思うんですが、寝返りは打ちやすいしリモコンで高さも角度も調節できるし低反動の適度な寝心地などなどを無視しつつ、夜の世界に浸っていきます。時折見回りに来る看護士の「眠れませんか」のやんわりとした威嚇には「薬を呑む時間までは、どうしてもね」と、これまた小声で言い訳します。

眠れない夜と雨の日には・・・この建物の中にいては、雨音などは微塵も聞こえませんけど、過去の浪漫好もよみがえりゃしません。忘れかけどころか、すっかり忘れてましたよ。

 

雷神の如く?

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廊下「雷蔵さん、頭(髪の毛)が風神雷神の雷神みたいよ」

と看護士に言われて、いい加減その汗臭さも気になっていたところで、歩行補助器具を借りてベッドから出ました(数日前のことだよ)。トイレの様式便座に座るのさえやっとの状態なので、浴槽に浸かれないのです。だから浴室とは別にある洗髪台で髪を洗いに向かいます。

そこにあった鏡を見たら、なるほど三十三間堂にいる木造の雷神みたいな、ぱりぱりのパンクアタマです。

うーむ、こんなんで夜な夜な徘徊していたら、どんな反応されただろうか。

ひそやかな楽しみ

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めしそれは、けっこう美人とかわいいが多い看護士やリハビリ士のおねいさんたち。もそうですが、その辺を書き始めると危険を伴うので内緒。

急患として担ぎ込まれた病院が、最初は何処にあるのかも分かりませんでしたから、全容なんかもちろん知らない。体験が全てとなるのです。そのあたり、仙台市消防局のスタッフさんは適所を選んでくれて、さらに受け入れ余地があったのが幸いで、順調かどうかはともかく治療を受けることができています。しかしカーテンで仕切られた4人部屋の壁側というポジションは、完璧に下界と遮断された空間。そこで過ごす入院生活は鬱の世界です。

だからこそ早いとこ良くなって喫煙所(建物の外)に行かねばならない野心で生きているわけです(いや、さっさと退院するぞ、じゃないのか?)

そのような暮らしの中で、意外なほどに評価してしまうのが、1日三度の入院食で、毎回異なる献立も味付けも工夫が凝らしてあり、決してどころか絶対にまずくない。

ひるめしはっきり言っちゃいますが、ここの食事はたいしたものです。食事を伴う入院自体、そんなに多く経験してはいませんが、今の入院食はたぶん、レベルが上がっているんでしょう。

考えてみたら、たまに外食でうまいもの食ったことを書いていても、それって全体の2割いくかどうかで、たいていは移動時間を稼ぐためにコンビニ食でした。どう考えてもここ数日の食事の方が充実してます。

ささやかなる一服を星あかりのもとで

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一服作戦室から持ってきてもらった雪村誠さんの「ブラネテス」と、やまむらはじめさんの「蒼のサンクトゥス」を、もう何度読み返したことかの読み返し。業務から離れ(られてないんですが)てるときに、小説であろうと活字の本なんか読みたくないのです。送り付けられた専門書類なんかロッカーの中に放り込んでやります。もう何しろ志低くなってます。

どちらの漫画も四巻、五巻完結なので、すぐ読み終えてしまいますが、ベッドの周りに家財道具が増えるのも問題ありなので、これくらいがちょうどいい。今回はあらためて描写やら描き込みを観察して面白がろうとしております。

それで早速釘付けになるのが、「ブラネテス」の第一巻に出てくるこの話。宇宙勤労者にして愛煙家というフィー・カーマイケル姉さんの武勇伝ですが、何度読んでも痛快。そして今回に限っては、今の自分の境遇が、喫煙できないこのエピソードでじーんとこさせます。

病室は5階、喫煙許可ゾーンは病室から15mほど歩いたところにある業務用エレベータで1階に下りて、そこにある裏口からさらに10mくらい先にある・・・らしいのです。ナースはもちろんリハビリ担当のお嬢さんも教えてくれなくて、処方された薬の説明に来た薬剤師のお兄さんからようやく聞き出した最短ルート。

でも、今はそれが、大気圏再突入よりも困難なミッションなのです。

Team WESTWIN Warriors#067

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jxcd13-10恋の浦ガーデンで開かれた九州ジャンボリーとの共催イベント、JXCD第四戦の結果がきました。Team WESTWIN からは後藤誠司選手が参戦し、無差別級のP2クラスこそ第3位にとどまりましたが、群雄割拠の2000cc以下であるP1クラスは優勝を遂げたそうです。このP1クラスがなぜ群雄割拠かと言えば、オフロード系四駆のダートトライアルとして、無差別級に出てパジェロエボリューションと真っ向勝負する人は少ないということと、車両ではリッタージムニーや、それをベースとして改造するマシンの幅が広いということでしょう。

 

形はジムニーでもM18を積んで、足回りはどこかで見たフロント独立懸架でリアリジット(そんなの国産車じゃアレしかないのよ)などという改造車がやって来るわけです。

「乗れてました。見えてましたか?」

後藤選手はにこにこしながら島雄司に尋ねたそうですが、実は主催者ブースにいる島監督からは、コースを走る彼らの様子は見ることができないらしい。

「でも音でわかるんですが、M18の高音がまたいい音色で響き渡るんですよ。たいていの人はそちらに気をとられるはずです。しかしエスクードのJ20Aがカムに乗って響かせる音って、聞いたことないだろうと。今日はまさにその最高の音を聞くことができましたね」

つまり、後藤選手は徹底したファストインファストアウトでコーナーに攻め込み、アクセルを踏みっぱなしでコースを駆け抜けているのです。大牟田から恋の浦に移転する際、恋の浦の傾斜やアップダウンの切り返しについては、リスクが高いとまで言われていたのですが、九州勢は早くもこのコースをものにしてしまったようです。

「案の定ハイパワー車には一歩及びませんでしたが、全開で登って行って急速な右ターンを消化すると、今度は下りながら左のターンが待ち受けています。ここをよく攻略したなと思います。ノーブレーキなんですよ」

島監督の分析によれば、各コーナーでの細々とした処理にはまだまだミスの目立つ後藤選手ですが、肝となる一点を攻め込んだ時に猛烈な進化が見られるということです。ノーブレーキで行くことは、要するにハイパワー車が力みを抜く一瞬にタイムを詰め寄る、エスクードとしては非力さをどうにかカバーする作戦とも言えますが、このコーナリングにおいて、突っ込んでくるフロントに少しのブレもないというのが後藤選手の走りです。

この様子を見ていた主催者陣営も、

「島さんは、もう彼に教えることは無くなったねえ」

とつぶやいたそうです。

「まあ乗れているときの後藤くんには手が付けられないと、川添くんが言うほどですから、この勢いのままTDAでの勝負が楽しみです。後藤くんは後藤君で、パジェロエボの廣瀬選手に負けていますから、まだまだエスクードの戦闘力を引き出してくるでしょう」

今回、島監督は車体の軽量化を図っています。ヘッドライト、左右ドアの窓ガラスを撤去し、アクリル板に置き換えました。しかし監督自身は程度問題の対策として処置したとのこと。エンジンの性能に、まだ余力を見出しているというから、驚きです。何しろ言わずもがなの十五年以上前のクルマなのですから。

 

真夜中の旋律

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まがじん痛み止めと痛みの鬼ごっこのような日々。昼は安静とリハビリで過ごして夜は安静と睡眠で過ごせ・・・るわけもなく書類だ原稿だ講演の依頼だ(すいません、これは丁重に辞退しました)に苛まれながら、原稿書くったって図書館に行けないのよと、インターネットを徘徊して資料探しをするのですが、どうしたものか、ネット上の情報というのは図書館や資料館の書物ほどの信頼性を抱けないものがあります。それでまた悪循環に陥るわけで、ときどき仕事をぶん投げて、違うものを探し当てたり当てなかったりするのです。

それでびっくり、この楽曲とン十年ぶりの再会。

日本テレビ開局20周年の企画番組だったとかで、当時そんなことまでは知りませんでしたが、この「さよなら・今日は」は、ちょっともう解説しきれないほどめんどくさい豪華キャストのドラマでした。それでまあそんなドラマをまたよく見ていたものだ(たぶんチャンネル権がお袋にあったのでしょう)と思うけれど、ドラマの話は置いといて、チューリップともガロとも違う不思議な旋律と声色で、まがじんというグループに耳が釘付けになったのでした。おそらくまだ、つくばーど基地には、挿絵そのもののジャケット装丁のシングルレコードが残っているはずですが、彼らの楽曲を聴くことができたのはこれ一曲のみでした。

この曲は赤い鳥の「目覚めた時には晴れていた」(後にビリー・バンバンや伝書鳩もカバー)、ビリーバンバンの「さよならをするために」につながる旋律で、いずれも坂田晃一さんによる作曲。誰ですかそれは? というジェネレーションに対しては、「母を訪ねて三千里」とか「ふしぎな島のフローネ」とか「南の虹のルーシー」とかの音楽プロデューサー… まだギャップがあるとすれば、「コクリコ坂から」の主題曲の元の歌の作編曲をやった人です。そういえば、まがじんのこの曲の作詞を担当した万里村ゆき子さんが、コクリコ~の主題歌の元々の作詞をやっています。

が、こういうデータは後年知っていくお話で、子供時代の自分には、強烈に耳に残る旋律で印象付けられたものばかりです。しかし引き合いに出した二曲よりも鮮烈に体験したのは、まがじんの曲を知るさらに1年前に出っていたこっちの曲でした。これはもう阿久悠さんの詞にも持って行かれた感がありますが、なんというか、ほら、片思いの一つも始まっていたかもしれない(そういう記憶はすでに干からびて、無い)ませた小僧が、ロックンロールな方向にのめり込む直前によろめいた旋律だったのです。

あー、たった一曲になげーよ・・・ でもすべてテレビがもたらしたものだったのね。ついでによくよく見てみたら、ここに出てくるドラマ(アニメーションは除く)って、全部、浅丘ルリ子さんの出演や主演なんだけれど、僕自身は浅丘さんは苦手なタイプです。