いや、別に隠れてるつもりはないのかな。
玄関のタタキなら涼しいかなーと思って、私のスニーカー置いてる棚を試しにかさ上げ。翌日には、ちいが嵌って寝てました(笑)うーん、ホコリで汚れそう。
いや、別に隠れてるつもりはないのかな。
玄関のタタキなら涼しいかなーと思って、私のスニーカー置いてる棚を試しにかさ上げ。翌日には、ちいが嵌って寝てました(笑)うーん、ホコリで汚れそう。
まぁ、よくもこう毎日毎日暑いですね・・・。夕立くらい降ってくださいよぉ。昔ってもっと頻繁に夕立があったような気がするんですけど。
このままでは会社の前の植え込みが枯れてしまいそうなので、2日に一度は水撒きしないと・・・ で、昨日水撒きしてたら飛沫がかかってナニかが跳ねた。見ると、枯れ葉???何で枯れ葉が跳ねるんだ?と、正面(?)見たら厚みがありまして(笑)
親的にはおそるべし学校の夏休み課題と思っていた霙の、課題と塾(これもすごいカリキュラムをやるのよ)を除き、部活動の成果を見せるというので、夏祭りの会場へ出かけてきました。
何年前からやっているのか知らないのですが、ここ数年、夏祭りの出し物が御輿と山車に加え、なぜかねぶたを繰り出すようになっています。このねぶたの行燈の半分は、地元の高等学校と中学校が絵柄作成に協力しており、霰が引退したことしから、美術部に依頼が来たのだとか。新人戦よろしく1、2年生がこれに携わり、初出展となったのでした。
一つの行燈の片側ずつを二つの学校で制作するという手法で、相手が何を描いてくるかわからないという条件下、美術部ではスタッフのブレーンストーミングでデザイン案を出し合い、基本路線は霙が提案した「竹取物語」が採用され、あとひとりのお友達による四季の花や山野のデザインと組み合わせて、夏休み前半の部活動に総力戦で臨んだとか。はからずもディレクターとなった霙にとっては、これまで扱ったこともない大きさの和紙に、仲間と共同作業で絵を仕上げていくという日々が続いていました。
どうりで課題が進まないわけだ。帰ってくるとへろへろでしたから。
実際に練り歩く行燈を見て感心したのは、ねぶたであり、行燈であるという制作条件を熟知して描かれた絵と、色彩であったこと。かぐや姫の十二単やら竹林やら窓辺の月やら、200m離れた遠目にも識別できる図柄と発色。これは美術部の顧問の先生が上手に指導した成果でしょう。現地で顧問の先生にも会いましたが、
「みんな熱心に取り組んでくれました。相方の学校の図柄に負けていません」
そのコメントの通りで、行燈の反対側の絵柄は線が細く淡い色彩のため、行燈の光が強くて写真に撮っても白く飛んでしまう。他校の図柄にはポップなものや艶やかなものもありましたが、マンガの図版を模写しており、オリジナリティはない。竹取物語というモチーフはあっても、全ての絵柄を独自に興しているところは、ポイントでした。親ばかしながら見に行ってきただけのことはありましたが、霙は
「せっかく描いたんだけど、お祭りが終わったら骨組みからはがされて捨てられちゃうんだよねえ」
と、残念そうです。まあ、お祭りも文化祭も何かにつけてのイベントも、企画と準備の時間が一番楽しい。それを体験したということが、一番の収穫なのでしょう。
日曜日。月いちの御茶ノ水にて。
研究会終わって、帰途につく前に一休み。気合入れなきゃ駅まで歩けましぇ~ん・・・ 歩き始めたら意外に風が爽やかだったけど、駅に着いたら汗だくだく(笑)
まだ1週間ほどの余地を残していますが、夏休みの課題というやつの追い込みが佳境に入っています。高校受験の霰は自分のペースをつかんで淡々と受験勉強を進めており、これはほっといた方がじゃまをしなくて済む。分量的には無理のない予習と復習と思われます。問題は1年生の霙に与えられている課題のとんでもないハードル。五教科分一括のワークブック100ページと、国数英それぞれの練習問題各20ページは、なんとか7月中に終わらせています。
終わらせなくてはならない理由があるのです。
このあとに控えていたのが、社会科の郷土研究と理科の自由研究、美術のポスター作成、市から駆り出された陶芸教室の作品づくりに、読書感想文と、習字もしくは俳句づくり。習字か俳句を拒否すると合唱コンクールの精鋭部隊に組み込まれるらしいし、本来希望者制の陶芸教室は、しらばっくれていたら教頭から電話がかかってきてしまって逃げるに逃げられなかった状況。これに、学習塾の夏期講座が、レギュラーにプラスアルファされます。
厄介なのは郷土研究と自由研究。中学生のレベルでテーマを考え、それぞれ模造紙1枚のプレゼンを書き出し、それとは別に論文をまとめろと言う。しかも郷土の歴史や文化芸能と言われても、昔の小さな町ではなく、合併した現在の市のレベルでやれと言っておきながら、子供だけで学区外へは出るなと二律背反の指示が来る。要するに親がつきあってあげられる土日でないと、素材を集め取材をすることができない(まさか図書館で調べ物しただけでできるとか、学校は思っているんじゃねーだろうな?)。理科に至っては課題が示されず、何かひとつ以上やってこいと。いや、せめて例題くらい与えてくれよと、親としては感じます。
ここまでは、それでもなんとか目を回しながらクリアしてきて、峠は越えたかに見えます。がしかし、読書感想文が残っている。この感想文を書くにあたっての課題図書も特に示されていないのですが、よくよく指示書を読んだら「最低20冊を読み、記録をつけて提出し、その中のひとつ以上に2000字の感想文をまとめる」とある。
40日で20冊・・・単純に割れば2日で1冊。それはしかし、感想文を書くための読書のペースなのか?(記録簿には30冊分の記入欄がある) というより、マンガを読むわけじゃあるまいし、こんなの無理でしょう? 実際のところ、霙はまだ4冊しか読み終わっていません。僕らの頃は、課題すっぽかして素行が悪いと親呼んでこいと言われたものですが、ここまで詰め込まれてはいなかった。担任か教務主任呼んでこい、です。
高気圧に覆われた福岡県下は、午前9時あたりから外気温が30℃に達し、湿度は82%。降水量ゼロ、南からの風は約1mのまま、西向きへと変化していく猛暑。日中の最高気温は35℃の快晴でした。
まさしく真夏の耐久レースは熾烈を極め、10:15のスタートからデッドヒートの様相を呈しています。「チズちゃん with WESTWIN」が走らせるエスクードTA31W・ディーゼルターボにとっては、過酷な条件。前期型のRFエンジンにはインタークーラーが装備されていないため、熱負荷のかかり方が大きくなります。
10:50。第2ドライバーに交代したあと異変が起こり、警告灯の点灯と意に反した減速。コース上からオフィシャルのサービスカーによって牽引されてピットに戻ってきた31Wは、タイミングベルトが断裂しており、リタイアを余儀なくされました。
んー!!! 島監督の復帰戦、またもや幻に。
「想像以上にエンジンルームに熱がこもりますね。それにしても私が走れないと言うより、車を停めざるを得なかった役割をまたしても小松君に巡らせてしまったことの方がつらいです」
さて耐久の流れはそれでも続きます。川添・後藤組のパジェロミニは、今回はエントリー数の多さからカテゴリー分けされ、午後からの改造車クラスへの出走となっていました。仲間の雪辱は我々が果たす! WESTWINのトップ2の熱い走りは、しかしながらコース上のステアケースの段差など中、大型車に有利な設定に加えて、それらの相手がすべて改造車であるという不利な状況を強いられたようです。無念にも上位に食い込むことはかないませんでしたが、彼らは早くも来月のJXCDに備えて切り替えに入っているそうです。
ところで、結果は残せなかったTA31Wと思われましたが、この状況には覚えがありましょう。そもそも最初のTA01Rが役目を終えたときに、まだ遣り残したことがあると01Wが登場し、対戦相手とのデッドヒートから51Wが用意された経緯。島監督、三人娘、後藤選手と続くエスクードの乗り手に、小松選手も火種をもらったようなエピソードを耳にしました。
「後藤君のエスクードこそ5速ものですが、あとはすべてATでやっている。どうせやるんだったらマニュアルミッションのテンロクを探してきて・・・まあ、確定していないのだけれど、なんせ我々ですから」
島監督は聞き捨てならないことを言っておりました。そのあたりのお話は、来週の宴席で小松君と後藤君に聞きだしてきてほしいところですが、後藤君はまあ、それどころではないようなので、この展開はいずれまた。そこへいたる前に、レーシングスーツは白ネクタイに着替えられるのでした。
以下次回! 28日あたりに。
「チズちゃん with WESTWIN」の出走するXCダートin九州が本日、福岡県のモビリティおおむたで開催となります。
彼等の用意したエスクードはTA31W、マツダ製RF型ディーゼルエンジンを搭載した、初代の中期型です。タイヤ交換、マッドフラップ゚取り付け、ブレーキ廻り整備、油脂類交換、バケットシートその他内装の改修などを、たぶん突貫で施しております。しかし、今回実に4年ぶりに第三ドライバーとして現役復帰する島監督にとって、真の秘密兵器は別の装備だそうです。
「はい、もう連日猛暑で、不快指数89なんです。ここはチズちゃんと小松君に踏ん張ってもらってラスト20分前までクルマのコンディションを保たせ、私が最終兵器のスイッチを入れることになるでしょう」
「最終兵器、秘密兵器って、何なんですか?」
「そりゃあA/Cスイッチに決まってるじゃないですか」
相変わらずドラマ演出の影で笑いも欠かさない島監督です(いやしかし、これ案外マジなんじゃないのか?)。そのうえ、先週交わした対話の時点では、この夏の仕事の忙しさとJXCD、アジアクロスカントリーサポート、XCダートとレースイベントに奔走する姿に呆れた奥方とお嬢さんが、いくらかご立腹とのこと。おお、監督も人の子人の親、1人の亭主だったのだ。
「まあ私が動かなければWESTWINのチーム運営にならないことは、根っこでは理解してもらえてます・・・きっと・・・うーん、たぶん」
ともあれ16:00頃には結果が出ているはず。善戦といわず、表彰台を期待しましょう。その前に、先週まだ見つかっていなかったレーシングスーツも、土曜日の未明には出てきたそうです。よかったよかった、ついでに黒の礼服は用意できてる?
礼服って、なんだそれ!? ←次回もしくはその次に続く
2001年の写真において既にヘッドライトベゼルを取り付けている。うちの先代らすかるのあーまーど計画が進み、取り外したパーツを受け継いでくれた頃の写真で、屋根上のPODからも同じ個体であることが識別できます。
プーさん(NAOさん)は当時、医学生で隣県に住んでおり、これまたうらやましいほどかわいらしいナースの卵を助手席に乗せて遊びに来ていた、古参のエスクード乗り。就職難を予見した「プー」ではなく、クルマに積んであったマスコットが「くまのプーさん」であったことがハンドルネームの由来です。
個体識別によって、このエスクードがV6/2.0のTD11Wであることも確認できますが、このほど現役を退く最終仕様の姿をみると、ぱっと見たら51Wか61W? という雰囲気に変化していました。しかし51系以降ではヘッドライトベゼルを取り付ける趣向はあまりなかったので、これを残していることで11系だという視認性にもつながっている。そのことよりも、先代らすかるのパーツをずっと使っていてくれたことが、泣けてくるほどありがたいです。
彼のエスクードのどのパーツがどこから取り寄せられたか、もうほとんど失念しましたが、このスタイルは、やはり古参のエスクード乗りがコーディネートしていた手法を取り入れていて、ワイド化されたフェンダーにも白いアルミホイールにも、左右非対称の屋根上装備にも、ひとつひとつ意味があるのです。その延長線で言えば、51/61用グリルとフロントエクステンションバーは、当時なら、たけさんのTD51Wヘリーハンセンに行き着くものであり、同時に今ならBLUEらすかるのトレードマークでもあります。
今回彼がエスクードを退役させるにあたって、このグリルとエクステンションバーは、逆にBLUEらすかるで引き受けることとなりました。あっ、昨日書いた「すとらいく仕様」への話をどうするんだ? さらに言うとこのエクステンションバーと同じものを、kawaさんも手配してくれているのだけれど・・・それぞれ余分に持っていてもまあ罰は当たらないだろう(相変わらず脳天気)
90年代の終わる頃、彼はぬいぐるみを乗せたV6ノマドのユーザーによる「3兄弟」の末っ子でした(長兄はSO-NETのモモを乗せていたコムロさん、次男坊はサンリオのぽむぽむぷりんを乗せていた、既にエスクOBのひろしくん)。末っ子は2010年までがんばってきましたが、いよいよOBになります。蛇足ですが、うらやましいほどかわいらしかったナースの卵がどうなったかというと、かわいらしいまま奥方になって、さらにそのままお母さんに成長しております。もちろん彼も今は立派なドクターです。