Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

25万キロ。

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昨日の夕方超えました。

209,000足して下さい(笑)

1992年10月22日から2012年12月9日までで7353日。年間1万2千キロくらいしか走らんのねぇ。さて、今度の休みは久しぶりに洗車しようかなーって新月サンがやってくれるのを待つ(逃)

帰ってきたワンダバな夜

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BLUEらすかるが帰ってくる予定はまだ立っておりません。週末、霰の誕生祝いのために帰省して、再び仙台に戻ってきた次第です。が、大きめの地震が去ったあとの北日本の豪雪の影響が、福島県あたりにも及んでいて、東北道も時速50キロ制限。これはこれで、ロートルなぷらすBLUEにはありがたい速度・・・なんて思っていたら甘くて、降雪の中でも普通に時速100キロでトラフィックが機能しているのです。安積パーキングエリアまではFRで走ってきましたが、こりゃもう危険だとパーキングに入り、四駆に切り替え。そうです、五型までの初代は、オートハブはついていてもドライブセレクト4WDではないのです。いっぺんどこかで停車させないと四駆にできない。だから切り替えどころの判断が肝心です。

安積パーキングエリアから本線に戻って北上すると、栃木県内を通過中にどかーんと追い越していった黒いミニバンが、郡山でガードレールに突き刺さっているではありませんか。そのあたりから断続的な吹雪と、少しずつ路面に雪が積もり出す状態が、蔵王をすぎるまで続きますが、これたぶん、まだまだ今シーズンとしては時の口なんだろうなあと恐れをなすのでした。

いくらかオイル上がり気味のぷらすBLUEですが、それでも四駆は四駆。凍結していなければ短いホイルベースでも安定して国見以降の登り下りのコーナーを越えてくれます。21年前の車ながら、頼もしい限りです。しかし、夕方には雪から曇りとなるハズだった仙台市内が、まだ雪。さてこのまま明日の朝まで降り続くとすると、コンバーチブルの幌屋根は一体どうなるんだろう?

そこが一抹の不安・・・

座布団三枚の距離

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座布団を並べて東日本の各県の位置関係を教えた頃、霰はまだ満7歳になっていなかったと思います。ふと気がつけば、本日なんと17歳の誕生日ですよ、いつのまにやらあれから10年近くの歳月が経つことになるのかと、どーんと実感させられます。そりゃーこっちも歳をとるわけだよなあ。

「お父さん、座布団並べて東北の地図を作ったよねえ」

と、茶の間の掃除を終えて炬燵を設置し直しながら、彼女がそのことをつぶやいたのは、親ばか的にはかなり嬉しいわけです。

次の進学フェイズが優先されるだろうから、すぐには動きはないでしょうけれど、来年の今頃は、普通自動車の免許がとれるのかと思うと、座布団を三枚走り抜ける日もそう遠くない未来なのだと思わされます。

ところで霰って、ものすごい年に生まれていまして、この年の2月頃には天堂竜と鹿鳴館香が結婚し、その式場へ向かう途中の結城凱が暴漢に刺され、6月になるとガメラとギャオスが戦うさなか、首都圏対凶悪犯罪特殊武装機動特捜班が解体されてプロテクトギアが一式行方不明、翌月にはスペースゴジラとゴジラとMOGERAが大激突し、楯剣人によってエリオス星から地球に飛来したアダルス基地が再発動したかと思えば、後に東京湾を埋め立てることとなる、東京南沖大地震も発生しているのです。

迎エハ来ナイ

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ウルトラアイを盗んだ少女が佇んでいそうな夕暮れ。その夜空の彼方から、恒星間弾道弾が飛来していることなどは、少女の存在と同様、街の人々は知る由もない。

という場面を思い浮かべてしまうほど、震災の記憶が打ち消されていく光の渦です。そこを襲ってきた震度4から5の、1分ほどの横揺れ。沿岸には津波警報。でも、あのときと同じ金曜日でありながら、往来する人は平然としている。

次々と着信する、安否を気遣ってくれるメールに返信をしながら、震度5には慣れてしまった自分自身に気づいて、なんだか申し訳なくなるのでした。

行きつけの店 後編

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仰々しく前編、とやっていますから、そこで書いた長年付き合ってきたガソリンスタンドの知人たちはどうなったのだろうという部分については、当然ながら後編のお話が出てくるのであります。

そりゃもう、久々に出かけたらフェンスが張られてもぬけの殻となった店舗を前に、

「廃屋、満タンっ」

などとふざけている場合ではなかったですから、その店からいち早く転勤させられ、鹿島の方の店舗を任されたOくんに電話を入れました。

がしかし、その店舗も電話番号だけを残して別会社のスタンドに変わっており、万事休すかと思われました。ところが電話に出た女の子は会社が変わってもなお残留したアルバイトで、僕のことを覚えていたため、Oくんの転勤先を伝えてくれたのです。

するとこれが、栃木県。仙台と基地を結ぶルート上と言えば、ルート上ではありませんか。以前も千葉の勤務先と鹿島という位置関係だったから、立ち寄れない店舗ではなかったけれど、よくよくそういうつかず離れずのところに来るなあと驚かされまして、ちょうどオイル交換のタイミングも重なったことから、知らんぷりして訪ねてみることにしました。

O君は元気に出迎えてくれて、あの地元のスタンドの顛末と、散り散りになった人たちの消息を教えてくれました。O君だけが地元から遠く離れたものの、これはまだまだ若手だからいいとして、前店長は自宅の近くの職場に移ることができたらしい。店舗が変わるたびにそれぞれ苦労をしていた店長だったので、そこは安心。けれども、もうひとりのメカニックは、まだ失業保険で生活していて、戻ってくる様子がないとか。前店長のさらにもうひとり前の、最も古参の店長はだいぶ前に地元を去っていて、さすがにそろそろ定年時期なので、行方がわかりませんでした。

それでもO君が相変わらずのフットワークで仕事をしてくれているのが、なによりほっとさせられたのです。地元や鹿島よりも大きな店舗に来たばかりで、彼の働きはこれからでしょうけれど、きっと頑張りぬくはず。いや真面目な話、距離については一考するのだけれど、設備と値段じゃなくて、人を頼って通うことってあるんだよ。たぶん、この店舗には、時折立ち寄ることになるでしょう。

 

ワンダバな夜

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遂に自走不能に陥った(ちっとも自慢になりません)BLUEらすかるは、積車に揺られて福島市の郊外に一泊。レッカー業者さんのご好意で代車を借り受けることとなり、月曜日の業務はなんとかこなしました。その合間を縫って、本来の主治医と連絡を取り、地元から主治医の積車が福島まで急行。代車を返却して積車に同乗させていただき、基地へと引き返してぷらすBLUEを持ち出すことになりました。

ぷらすBLUEは朝霧高原のつくばーどの時点で、まだ夏仕様のまま。しかし、月曜日の夜のうちに、霰と霙が納屋からスタッドレスタイヤを搬出して、車内に積み込んでいてくれました。

急いで主治医のところへ持ち込み、タイヤ交換とともに、念のためにエンジンオイルの量を点検したところ、やっぱり先週の富士山往復で回しすぎたか、不足分の補給をしたら1リットルも減っていた。おいおい、焼き付いたらどうすんだよ。と苦笑いですが、どうやらこいつもピストンリングあたりの魔滅が進んでいるらしい。オイル上がりの症状と思われます。

それでも背に腹は変えられないので、じっと定速度で仙台まで持ってきました。福島から基地までは助手席だったので、体力的にはありがたく休息できましたが、とんぼ返りで水曜日の日付になった頃に仙台到着。これで寝られればいいのだけれど、このために一時的に放り出している仕事を明け方までに終わらせねばならない。

結局は徹夜になってしまうのでありました。そしてここから時系列がリアルタイムに戻るのですが、主治医から早速、一時診断(試走点検)の連絡が。

「普通に走って100キロまで気持ちよく加速した。これ、またもやECU絡みじゃないでしょうか。うちには古いテスターしかないので、ディーラーでもう一度ログから点検し直します」

・・・なんだとーっ!?

行きつけの店 前編

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10月の話に遡りますが、長年、我が家の車たちの給油や軽メンテナンスに通っていた、地元のガソリンスタンドが閉鎖となってしまいました。

20代の頃に知り合った店長から始まり、最初の店がセルフスタンド化されて店員が散り散りになってしまったものの、その店舗にいたほとんどの若手社員が、奇跡的に再集合したスタンドでした。しかし近隣にセルフタイプの店舗が増えていくと、経営は相当圧迫されていったらしく、店長の片腕だった優秀な若い子は単独で別の店舗を任され、スタンドの構成員はアルバイト主体になっておりました。

そのあと僕自身が転勤となり、彼らの店舗とは疎遠にならざるを得なくなっているうちに、親会社からの閉鎖指示が出たようです。腕のいい整備資格を持ち、気さくで親切な若い子たちが対応してくれて、設備も整っていた良いスタンドだったのにねえ。

現在は、仙台において知り合うことなった新しいスタンドの世話になっているわけですが、このスタンドは転勤直後に通い始めた店舗がやはり閉鎖となり、その後別会社が改装して新規開店したことから、奇しくも開店時からの常連というありがたいポジションに収まってしまったのです。このスタンドの店長と社員たちが、これがまた、かつての地元の彼らと甲乙つけがたい優秀な面々。少なくともこちらの生活圏では、給油やメンテには恵まれました。

それにしても、地元のスタンドにいた彼らは、どうなってしまったのか。まさか僕ひとりが抜けたからスタンド閉鎖の売上に陥ったなんてことは有り得ないでしょうけれど、良い店が生き残れるわけではないという悲哀を突きつけられた気がします。

その日が来た

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やれやれ、こんなのを見るのはタイロッドエンドが抜けて前輪軸が壊れ、林道から自力脱出したとき以来ですよ。

ミッションがいかれてしまっては自力脱出は不可能。もはやこれまでです。

頭寒足熱とはいうものの

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ふもとっぱらでの早朝に起きていた足元のひとコマ。

ご来光の撮影に出ていた皆さんとは異なる場所で、ひとりっきりで待機していたので、他の場所の様子は知らないのですが、僕のいた場所は雲の通り道の真下というか、時折、霧がやってきては通り過ぎていきます。その感触は、真っ暗なので皮膚感覚でしかわからないけれど、まあ冷たいの何の。そうこうしているうちに、携帯電話の内蔵カメラでも撮影できるような明るさになってきて発見しました。

靴に付着した夜露が凍りついていた。

この頃、BLUEらすかるの外気温度計は氷点下2度。しかし日の出の時刻まで、まだ30分はあるため、車内に逃げ込みたい気持ちでいっぱいですが、不意に巻いてくる霧がカメラのレンズを結露させるのではないかと気が気でならない。こういうときに限って、フードの代わりになるものがないわけです。そのカメラのボディにも三脚にも、氷結した結晶が目立っていきます。

それでも、ここ数年で一番良いコンディションじゃないのか? と思うと、結局はその場を動けずに頭のてっぺんから爪先まで凍てついちゃうのでした。

ウナギマンからナマズマン

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タイトルには何の意味もありません。ゴロ合わせでつい、頭に浮かんでしまいました。しかし、要するに今度封切られる仮面ライダー映画にリバイバル登場させられるサナギマンもイナズマンも、何匹ものドジョウをすくっているという視点から見れば、ウナギでもナマズでも大差ないよと言いたい。仮面ライダークウガよりもずっと昔に、二段変身というスーパーギミックを実現していたこの超人は、同時に最近のヒーローコラボレーション映画よりもずっと以前に、漫画において人造人間キカイダーとの共演を果たしているのです。そういう価値観を大事にするなら、イナズマンそのもので映像化復活をさせてあげたらいいのに、単にそういう故事だけを持ち出されているんじゃないかと泣けてきます。