Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

真昼の葛藤

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帰還主治医のところかららすかるを引き取り、三代目エスクードを返却に出かけて思うのは、代走した三代目が9年も前のモデルながら快適この上ない性能であること。しかもまだ3万キロ台という上質の個体です。レンタカーとして整備されているため、オイル管理もしっかりしているし立てつけが悪いと言われた異音とやらも出ていません。一昨年借りたときには2万キロの個体で「中古車として買い取ったら乗り出し120万円」と、ちょっと考えちゃおうかなと揺らめいたものでした。しかし乗り手がいないし置き場にも困るから実現していませんけどね。お店で取り扱ってくれている間は、機会を作ってまた借り受ける間柄は、案外理想の関係かもしれません。

そして帰ってきたらすかるに乗り換えると、さらに9年古いこいつはどうあがいても快適さで2世代分負けてます。でも、FRでも直結四駆でも、軽快さがなんともいえない好みの味わいで、直ってくれてよかったの一言に尽きます。最初に確認したダメージはリアバンパーの交換で済むと思いましたが排気管が押されて触媒あたりで破損し、O2センサもパンク。さらにエンジンをも押してしまってベルトの掛かりにに歪みが生じ、オルタネータまで正常に動作しなくなるなどのトラブルに及んでいました。引きちぎられてばらばらになってしまったテンロクノマド用の初期の泥除けはさすがに再生不可能で在庫もなく、樹脂板のつるつるのもので代用。バンパーも在庫なしのためどうしようと思っていたら、中古品が手に入りなんとかなりました。

当初は5月ごろに50万キロの大台達成と皮算用していましたが、2か月ほど先送りになりそうです。まあ多くは望めないです。だけど、らすかるは乗りやすいと言いながらも3代目の快適さと安定さに慣れてしまっただけに、感覚を元に戻していくのはちょっと大変です。加えて劇的にわかってしまったのが、一カ月近くしっかりした足回りのエスクードに乗っていたため、らすかるのショックがずたぼろにへたっているのを確認できてしまったことです。これをなんとかあと2万キロだましだまし引っ張らねば・・・

Team WESTWIN Warriors #074

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www52w細かいことは本日発売のスーパースージー081号掲載「九州かわら版」に書かれていますが、ウエストウインが繰り出す新たなダートトライアル用エスクードは、2代目2000ccショートボディのTA52W。川添哲郎選手がパイロットします。

「2代目ショートでのダートラと言えば、99年全日本ダートトライアル選手権の第1戦『RASCAL SPRING TRIALin三井』という準国内級レースで、田嶋 伸博さんが駆り出したことがありますね

 

とは、このエスクードと同じモデルに乗っていた青影さんの談。当時は2代目エスクードのデビュー翌年で、モンスターでも新型エスクードとしてこれを投入、優勝をもぎ取っています。もうお分かりと思いますが、川添選手にTA52Wを扱ってもらうというシナリオには、この型式のエスクードで刻まれたダートトライアルの歴史が、かつての三井三池オートスポーツランド、つまり後にモビリティおおむたと呼ばれたコースで始まった故事にあやかる面もあるのです。おおむたでダートトライアルを育ててきたウエストウインにとって、数奇な運命の巡り合わせとなる1台です。

とはいうものの、すでに15年も前の話です。2代目エスクードがダートラを走って2位との差を4秒もちぎったことなど、誰も覚えていないと思います。なにしろ2代目はモデルとして不振に終わっていますから影が薄い。けれどもモンスターのエスクードなもんで、セリカやらポルシェやらを向こうに回してぶっちぎりに速いというのを、栃木県の丸和というダートトライアルコースのレースで見たことがあります(まあ中身がどうだったのかは知り得ない話ですが)し、アピオの尾上茂さんだって、終盤のパリ・ダカールラリーで使用したエスクードは2代目のボディでした。

このように闘う素地を持つ52Wを、ウエストウインが使わない手はありません。そしてウエストウインのエスクードは、これら2台の極めて特殊な車両たちに比べれば、より市販車に近いところでマシンを仕上げるのがひとつの美学といえます。

「試運転時はマイルドな車だなあと思ったんですが、ラック&ピニオンのステアリングと、リジットサスながら5リンクで固めたリアサスという部分に、川添くんのドラテクはうまく応答してくれるのではないか? そこが戦略です」

島雄司監督は、4月27日のTDA今シーズン開幕までにできることは少ないと言いながらも、まず車の特性に馴染んでもらうところから始めると展望を述べています。いずれにしても、あっと驚かせるという意味では、この上ない車種選択ですから、緒戦であっても気を抜けません。

これに対して、すっかり定着している初代エスクードのTA51Wを駆る後藤誠司選手も、同じエンジンを搭載していても戦闘力のわからない2代目には興味が尽きない様子です。エスクードにはエスクードをぶつける。昨シーズンは51W同士の戦いでしたが、今期はお互いのドライビングに適した別々のエスクード対決となります。後藤選手も天才的なセンスを保有していますから、下馬評としては五分五分と言いたいところです。

TDAも参加者が徐々に増えてきて、イベントとしての成長も好評ということですが、一方では勝ちに行くためのあの手この手が逆にステレオタイプ化されてきた部分も見受けられます。しかしこの手のイベントには、あえて話題を投入していく必要もあり、戦い方にも信念が欠かせません。ウエストウインがそういった部分も忘れていないところは、大いに讃えたいです。

 

真夜中の出張

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宮古へ岩手県の宮古市まで、朝の8時に来いと言われれば、これを拒否することもできずにひたすら北上するしかありませんが、そういう日に限って仙台での仕事が夜までかかりきりで、おまけにことし3度目か4度目かの南岸低気圧の発達で、仙台でさえ朝から雪です。へたをすると東北道を止められるかもしれないし、止まらなくとも移動速度を大幅に抑制されてしまう。ということは、やっぱり夜通し走って現地ビバークするしかない・・・

冬でなければ盛岡からダイレクトに宮古を目指すのですが、東北道がすでに圧雪とはいえチェーン規制。国道106号がどんな状態か見当もつかず、とりあえず凍結は必至だろうから行きたくない筆頭候補です。

やや遠回りになるけれど、花巻から遠野経由で釜石まで出て、沿岸の国道45号で宮古へ向かいます。おおむね300キロと脳内試算。このエスクードにはカーナビゲーションは付いているけれど、車体が9年前のモデルで当時の地図情報ですからデータ自体がもっと古く、東和から宮守までの東北横断道も遠野から釜石までの仙人道路も載っておらず、正確な距離と到着時間が出せません。これは燃料消費率と給油のタイミングを計るのが難しい。宮古まで行ったらその出張経費に見合うだけの立ち寄り仕事をしなくてはならないから、帰路の変なところで燃料不足に陥りたくないのです。

ひたすら106号へ誘導しようとするナビゲーションは、夏だって夜中は走りたくないよの立丸峠へ誘導しやがりますが、これを無視して釜石へむかうと、もうどこのガソリンスタンドもやっていません。それは見越して東北道を降りる前に前沢SAで給油をしています。

風呂しかしそこからが意外なことに、釜石までの圧雪路と凍結路を一人ぼっちで走ってきたら、燃料が減らない。制限速度をちょっと上回りながらもアクセルワークをずーっとパーシャル寄りで操作してきたのが良かったのか? 瞬間燃費も加速時以外はリッター15キロ台から下がりませんでした。

混雑していたら不可能な燃費のまま、仙台から4時間ちょっとで宮古に到着です。外気温は氷点下6度。いやー、こりゃー車中泊はやだなあと市街地に近づいたら、いつオープンしたのか真新しいビジネスホテルが明かりをともしているではありませんか。シングル空いてる? と聞いたら2部屋あったですよ。

これで金曜日の仕事は滞りなくこなせ、沿岸の被災地を訪ねながら仙台をスルーして基地へとひた走るのでありました。TD94Wの代走は任務完了。らすかるが修理を終えて戻ってきます。

 

キーボード。

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JIS配列以外使ったことないけど・・・

JIS配列以外使ったことないけど・・・

直木賞を受賞された姫野カオルコさんが〝親指シフトキーボード〟を愛用なさっていると、webのニュースで読みました。
・・・親指シフトねぇ。久美沙織さんと新井素子さんも熱愛なさってたなー。新井素子さんはエッセイで「どうしよう。ワープロ(!)が壊れてしまった。親指シフトはもう売っていない」なんて件があったし・・・久美沙織さんはツイッターで「キーボードが調子悪くて文章が打てない」と書かれていた事が。
使ったことないから、語るのもナンですが。

ワープロが出回り始めた頃、50音配列とJIS配列に混じって富士通が「日本語の為の」って売り文句で出したのよね、確か。生憎と自分で買った初めてのワープロが東芝だったもんで、私は普通にJIS配列のローマ字入力で覚えました。
英文科の友達なんぞは授業で英文タイプライターが必修だったから、すぐにカタカタ打ててましたが、見るのも触るのも初めてな私はいわゆる「雨だれ打ち」でした(笑)
就職した後も会社のワープロやオフコンはJIS配列のキーボードだったので(まぁそりゃそうだよね)今に至ります。(流石にもう雨だれじゃないですよ)

連   鎖

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くうがにこりともせずに僕の胃袋の中の異常を宣告しながら、オダギリジョーファンであることも隠そうとしない、とあるクリニックの女医さんが

「五代君、昨年日本に帰ってきましたよ」

と聞き捨てならないことをしらっと言ったことが昨日の記事の主軸(いやそこじゃないだろう)

概略を伺ったら、「仮面ライダークウガ」の脚本を担当していた新川稔久さんが、昨年の春に「13年後のエピソード」を小説に書き下ろしたのだそうです。

今どきと言えないほど時間が経過しているので、今さら感ありありながらも癌検診といういやーな日々を送る上での気晴らしにこれを探して読んでおりました。聖悠紀さん好きな本屋のおばちゃんがいたりオダジョーでクウガがわかる女医さんがいたり、仙台って面白いところです。

が、ここからお話は俄然つまらないところへ行きます。

女医さんから「がーんっ」とぶちかまされた頃、僕はある団体の依頼でエネルギー問題に関する冊子の編集を請け負っていたところで、クライアントの代表者が執筆するはずのメッセージ原稿が上がってこないことと、この冊子のタイトルが決まらないことで頭を抱えていました。

メッセージなんかはいざとなったふらゴーストライトしてしまえば済むけれど、冊子のタイトルだけはへんてこなものをつけられませんので、3日三晩脳の筋肉(笑)をフル稼働諭せて考えついた言葉が『地球回廊』でした。若い頃にジェイムズ・ラヴロック(僕の頃はジェイムズじゃなくてジムだった)を読みふけり、ガイア理論を研究したことがあったので、エネルギーと人のつながりをイメージさせて考えたタイトルです。

で、この4文字を入稿表に打ち込みながら・・・まてよ? よもやまさかで、この言葉が余所で使われていたりしないだろうなと、念のために検索してみたところ、岐阜県の瑞浪市という自治体が市政コピーとして使用しておりました。

ああっ、だめじゃん。知らなかったとはいえ二番煎じじゃん・・・と、この案はあえなく没になるのです。

そしてまた3日も時間かけてらんねーよと、これを横文字に置き換えながら別のタイトルを無事にひねり出して手が離れた後、くだんの「小説 仮面ライダークウガ」をようやく手に入れ、読み始めたところ、登場人物のその後を説明的に対話するシークエンスの中に、瑞浪市、という一言が刻まれていたのです。

こここ、このやろー喧嘩売ってんのかーっっっっ

しかも、ここで出てくる瑞浪市は、クウガの主人公である五代雄介の相棒である警視庁の一条薫刑事の元上司の松倉さんの娘さんが住んでいる場所という、本編には何のかかわりもない、きっと僕以外の読み手にはきわめてどうでもいい位置づけで書かれているのでした。

うーん・・・この記事自体、僕以外の誰にもなんのことかわかんないオチになってしまった。しかし今さら感と言いながら、このクウガの小説、わざとらしいながらもけっこうおもしろいです。

発表会。

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しみじみ聴いた♪

しみじみ聴いた♪

先日の事。saxophone吹きの友達が「通ってる音楽教室の発表会あるから、良かったら聞きに来て」と案内状をくれたので、新月サンと行ってきました。

曲名見て「ん?」と思ったら、去年の誕生日にリクエストされて友達にプレゼントした曲でした。
「ふーむ、こういう曲だったんだー」と聞き入ってしまいましたわ。

昔々のピアノの発表会をちょっと思い出したのはナイショ(笑)

戦   慄

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totoros息子二十五、娘十九が青年時の厄年と云われており、この厄は親が肩代わりするとよく聞いてきました。聞いていた割にはそういうことを忘れ去るのが日常で、不意に思い出してはびびらされる。平成七年生まれの女の子は、昨年がまさしくこの厄年にあたっていまして、我が家で言えば霰がそうだったのです。これに気づいたのが正月の初詣のときだったのだから、まあ能天気だったわけですが、それを言われてみれば、昨年は2月に階段から落ちて頭を強打するし、9月にあの入院騒ぎ。それで年末に足の骨の問題が続いて先日胃に影があるなどと告げられちゃったのは、そういうことだったのかと大いに戦慄したのであります。

あれ? でももう厄年は後厄に入ったから胃の話は違うよな? と思ったら、厄の読み方は数え年で、霰が19歳になったのは12月なので、この場合ずらして考えるからこその後厄なのか? いやいやちょっと待て、ということは、2歳離れている霙はことし前厄じゃねーか・・・ というわけで、ことしも東海村の村松虚空蔵樽に厄払いに行くことにします。

その一方で、娘らが送って来たメールによると、僕の黄道十二宮の天体の動きでは、土星、火星、木星がそれぞれ良い傾向で運気の上昇をもたらすポジションに動いていくとかで、仕事運も経済運も健康運も恋愛運(おせーよ今頃)も順風満帆の2014年なのだとか。

なんだかなあ・・・

 

なんでじゃ。

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今ならタダっ(笑)

今ならタダっ(笑)

先日、会社のお使いで銀行へ行った時の事。駐車場出口の精算機のトコロで車が止まったまま運転者不在・・・「?」と思いながら暫しのち、フロアで案内していたおじさんを連れて車の主が戻ってきました。

どうも精算機が壊れたらしいです。
駐車券を入れる口にカードが入らない(ように見えた)ので、手動でバーを上げて通してもらいました。

・・・さて。その後どのくらいで直ったんでしょ?

宣   告

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とんぼ玉「お腹にちょっと嫌な影があります。精密検査してください」

と言われたのが2月の始めでした。社会保険で契約している健康診断のX線検査の結果が、健康診断指標としては過去最高に悪い判定でした。こちらに転勤して顔なじみになっている女医さんなので、そりゃあれですか、腹の中にアマダムでも入ってますかね?などと軽口をたたこうものなら、

「五代君だってもう10何年も傷ついたままです。でも彼は去年、日本に帰ってきましたけどね」

という期待を裏切らない「ふざけてんじゃねーよ」な返答をにこりともせずにするのです。えっ? なにそれ、五代雄介が帰国したっていうのは全く知らなかった話ですよ?

「ですから雷蔵さん、今はクウガの話ではなく、あなたの胃の中の影の話を真剣に考えてください」

はは、はい。今度、鬼塚神社の源流に行って鍛え直してきますとわけのわからないことを言いながら紹介状と予約表をもらって、うわーどうすんだよ遂に来ちゃったのかよと、けっこう真面目に途方に暮れていたのです。

その後、新年会の翌週にあの悪魔のようなファイバースコープを喉から突っ込まれてうげげげげっとやられまして、待つこと月末までまんじりともしない時間を過ごしておりました。その間、女医さんが言っていた仮面ライダークウガの小説を探して気晴らしに読んでいたりするのだけれどそれはまた別の話。

「腫瘍できてます。が、いわゆるポリープだとか癌の病巣になる腫というのは胃の粘膜上にできるもので、雷蔵さんの場合は粘膜下。これは成長しないとは言いきれませんが、今の大きさならば悪性にはあたらないですね。それよりも診断表にある白血球異常の方が問題じゃないかな。血液内科にも行きますよね?」

内視鏡センターで胃腸科のドクターから診断を聞くまで、針の簟っちゃあこういうことだったかと実感しました。まあそんなわけで、僕の体内にあるかもしれない(ねーよ)アマダム霊石は、きっと、とんぼだまのような青か緑です。しかし理想体重が66キロだとさ、ばかゆってんじねーよな数値です。だれか贅肉取り除いてくれ・・・

 

23年いろいろあります

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TA01W-HH89この写真は23年前のもので、平成3年の3月3日(ひな祭りの日曜日で友引だか大安だったという出来すぎの日取り)に挙式と披露宴と二次会をこなし、翌日からそれぞれ年度末の忙しい仕事・・・と言おうものなら

「ばかかお前らは! とりあえず新婚旅行くらい行ってきやがれ!」

てな具合で二次会の会場をたたき出され、そんなことを言われても何も計画立てていないんだよほんとに忙しいんだよと、困り果てながら東北道をてれてれと北上し、4日朝にたどり着いたのが小岩井農場。の1カットです。

まだ二十代ですよ。このヘリーハンセンも乗り始めて2年めの終わりだから、この頃だと2万キロちょっとですよ。この年の夏には中通から会津にかけての林道をずいぶんと走りに行き、冬にはそのあたりのゲレンデに通い、翌年の夏には家内のGTSルックなFB13「うさにー」で津軽半島を旅しているので、どうもこの当時から東北には引き寄せられていたらしいです(もちろん結婚する前年にも、このエスクードで遠野周辺の林道めぐりに来ているのですが)

たぶんこの頃、今の生活なんか想像もしていなかったでしょう。宿泊した宿で晩餐の時に、宿のオーナーから「ご主人は」「奥さまは」などと呼ばれて浮き足立っていた程度ですから。まさか時間を巻き戻したいとか取り戻したいとかは思ったりしませんけど、20年を過ぎるといろんなものがのしかかっていることを自覚します(遅いって)