Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

復活ー!

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試しに買ってみた。

試しに買ってみた。

帰りも4~5時間掛かるんだから、当然腹は減る。
という事を見越して、新月サンが気仙沼で仕込んだ復活バーガー。
「フカのカツだってー。どんな味するかね」と、一個だけ。
これが。意外に美味しかった♪
カツだけど、キャベツとソースが合わさるとアッサリとしてて
くどく無いんだわ。
フカ自体にクセがないんだね、きっと。

二人で分けて食べたのに、帰宅後の夕飯が軽めで済んじゃうくらい
腹持ち良かったよ(決して胃もたれした訳ではない)

篝火のたよりにたぐふ煙とならば

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このコンセプトモデルの佇まいや大きさなどから、ジムニーシエラのあとを引き継ぐSUV・・・と初期段階では感じたものの、どうにももやもやが残ってしばらく放置していました。が、やっぱりこれが小型クロカンの後継車とは思えない。もちろんそれは、iM‐4の在り方を否定するものではありません。クロカン要素のニーズは満たせませんが、かつてのテンロクエスクードノマドに限りなく近いという部分では、決して悪くないのですから。

ではどこにもやもやするのかと言えば、新型アルトで打ち出してきたこのシルエットです。ジムニーシエラではありえないと同時に、エスクードの系譜でもない。累計で言えば、これって初代スイフトに最も近いのではないかと考えたら、ちょっと落ち着くのです。

いやいや、スイフトは現在の形があるから、それを先祖がえりさせることはないだろう。と言い聞かせ、あくまで2000年にデビューした当時の初代に限定して考えます。つまり、それをスイフトと呼ばずに済む方法論があるわけです。スイフトと言えば、ネーミングにおいては日本のそれと海外のモデルとは車種が異なり、海外版の2代目カルタスベースモデルで使っていた名前を、日本のニューモデルに持ってきたのが始まり。だから日本で言う初代スイフトは、海外ではIGNISと呼ばれました。

これじゃないか? 量販されるiM‐4の素顔は。

焔とか炎とか篝火という意味合いを持つネーミングは、日本人受けするかもしれません(まあ「イグアナみたいでいやだ」という人も絶対にいると思うけど)。超飛躍すれば、篝火と言ったら玉鬘。美貌と数奇な運命に翻弄された彼女が描かれる源氏物語の世界です。

さすがに妄想するにしても飛躍しすぎ。名前の付け方は人でもクルマでも難しいですから、あてにしないでください。

 

 

 

ドライブ。

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4年経ったんですねぇ。

4年経ったんですねぇ。

「出かけるぞっ!」という新月サンの一言で
気仙沼往復してきました。
行きは常磐道を通って仙台経由。
通り過ぎる時、帰宅困難地域の光景が
異様で悲しかったです。
ひと気のない庭先に、屋根より高く育った
満開のモッコウバラや、色とりどりの草花。
SFの世界の様でした。

南三陸町の防災庁舎跡にも寄りました。
周りは震災復興工事の真っ最中。
4年も経ったのか、4年しか経っていないのか。
多分どっちも、なんだろうな。

たどり着いた気仙沼は観光もしないで、
ご飯食べて帰りました。
(シャークミュージアムだけ寄ったけど)

美味し♪

美味し♪

何食べようか悩んで、新月サンがウニの入った三色丼。
私は日替わり丼をチョイス。

連休後の日曜日だからね。道路空いてたし、行った先も
そんなに人ゴミという程ではなかったけれど。
防災庁舎跡には途切れることなく訪れる人がいて、
気仙沼でも、かなり遠方のナンバーの車が停まってたりして。

また、行こうと思います。

クロカンセダンを綴っていたら

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ジムニーロード昨日の二代目エスクードの記事は、今号のスーパースージー誌上連載の原稿を書くきっかけとなった話のまとめでした。これを言っちゃうと自分に跳ね返ってくるのですが、要は雑誌のインプレッションをどこまで本気にとらえるかということでした。

極論を言えば、日常で実際に乗っている人の言葉には、かなわないよという論理です。それを棚上げして原稿を書いているので、まあ呉越同舟ではあります。

などと思っていたら、今号のジムニーロードのページにて、二階堂裕さん自身が珍しくもエスクードについて書いている。なんだこりゃー(おいおい)と一読してみると、初代のフロント、リアサスの設計について工夫を凝らしたのがエスクードだったけれど、これがドイツで「高速道路の印象が悪い」とクレームをつけられ、二代目ではセンターアームを廃止した3リンクになってしまった。ということが、エスクードの個性を剥奪される出来事だったと紹介しています。

初代の開発史についてはこれまで何度も書かれているなかで、このドイツからのリアサス不評という部分は初出しのエピソードでした。いやはや車に関してはハードルの高いお国柄のクレームですし、初代は北米以上にヨーロッパねらいのモデルでしたから、メーカーも慌てたのでしょう。しかしそれを北米ターゲットの2代目においてやっちゃったところもちぐはぐ感のある話です。

しかしさー、こちらの連載記事でそのリアサスの設計変更をあえてクロカンに見切りをつけて万人向けに転じたと論じているところに、同じ号で痛烈にカウンター当てられちゃったよ。

「あれはね、今はなぜあの記事かを明かすことができないけれど、思うところあって特定の人たちに読ませたくて書いたの」

二階堂さんに尋ねたものの、そこははぐらかされました。でも2代目に続いて現行モデルのモノコック化や没個性化に触れて、そういった変革を極力回避しながらジムニーが個性を維持し続けていると結んでいるから、記事が誰に対して何を言わんとしているのかはおおよそ想像がつきます。

まーそれにしてもドイツの人々、大きなお世話を言ってくれたものだったのだわ。そりゃセンターアームはばたつきますわよ。でもショックやコイルやタイヤの選択で乗り味はいじれるのよ。でなけりゃ24年も前の幌車や17年前の5ドアを面白がって乗り続けないよ。

クロスカントリーセダンの印象

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v6-2500TD62Wを主体とする2代目エスクードが紹介された昔の雑誌で、かいつまんで言うと見出しの通り「コーナリングはいいけど乗り心地が固い」という評価がありました。62Wのグリルが初期のハニカムデザインなので、2代目にV6‐2500が追加された98年2月以降、まだ2代目が初期型の頃の記事です。

GMと手を組み北米市場に攻勢をかけていた時代でもあり、二代目においてはアメリカで流行していたスタイルが要請されました。しかし、形はともかくその大きさについては、シートの着座ポイントが良く出来ており、運転姿勢に無理のないアップライトなポジションをとりつつ、全体的に視界の確保された室内です。

これは、アメリカの市場では狭かったかもしれませんが、今にして思えば日本国内では高齢者も女性も扱いやすいサイズです。初代に対して二代目の室内空間は、左右方向に1センチほど広い。たった1センチが、助手席で大きな効果を発揮しています。

単なる走りとはいえ、普通に走らせて素直に動くというのは重要な要素です。リアサスに5リンクを加えた2代目は、初代に比べてコーナーを思ったように曲がっていくことができ、ロールがきちんと押さえられています(初代比ね)。同時に、2代目に採用されたラックアンドピニオンのステアリング形式と、フロントサスを構成する初代譲りの骨太なAアームの効果でしょう。実際にはラダーフレームにボディを載せる際の接点となるブッシュ類が軟らかく、ダート以上の悪路では当然揺さぶられますが、オンロードでの道路の継ぎ目を踏み越えるときの感触は、四駆として考えた場合かなり上品だと思います。

これ2500では?だから、これで乗り心地が硬い、という表現はもはやエスクードをクロカン四駆としては見ず、乗用車に限りなく近いSUVとして捉えられていたのかなあと感じさせられる記事です。しかしそもそも、この頃から乗用車というかセダン系の車も、硬い足回りの乗り味が次第に好まれ主流になっていったような記憶もあるので、なんだってエスクードごとき(不適切表現)で固いなんて書かれたんだろうとも思います。

二代目のコピーが「クロスカントリーセダン」というものでしたが、その言葉尻を取られたってことだったのか・・・?

だけどその後三代目に代替わりしたころの別記事を見ると、二代目の2000ccと3代目の2000ccを直4同士で比較していながら、写真がV6‐2500だったりするくらい、雑誌の言うことなんていい加減なんです。

揚げてます

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てんぷらまんじゅう先日の津川の帰り道にしようと思いながら、めんどくさがってスルーしてしまった中ノ沢温泉に行くことになったので、小西食堂のあとにはてんぷらまんじゅうを買い求めに立ち寄ります。会津で有名なのは、猪苗代湖の強清水にある元祖清水屋のものですが、中ノ沢でも別の店がやっています。作って数日経た饅頭を日持ちさせて食うための、会津の台所の知恵が天ぷら化なのだそうです。こういう食文化が全国区なのかどうかは知りませんが、香ばしさと甘さの加減が良いのです。

しかし、ここって接客がいまいちなところが珠に傷。ちょっと離れたところにある笹団子屋のお嫁さんのそれに比べると、実に損してます。

それはそれとして、小西食堂のスタミナラーメンを食った後の満腹感では、天ぷらまんじゅうはちょっと重い。明日の分でいいかと、オーブントースターで再度炙って食うつもりで漉し餡を2個買おうとすれば、

「うちのは漉し餡じゃなくて粒餡の方がおいしいんだよ」

と来たもんだ。知ってます。以前比べてます。食感が異なるとはいえどっちも味は同じです。

「試してみなよー、絶対に粒餡だから―」

だから知ってるんだってば(笑) とかやってる間に揚げたての天ぷら饅頭が出来上がるわけで、情にほだされ粒餡も・・・ こんなに買っちゃってどうすんだよー。

土湯越え

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噴気自然活用エネルギー創出事業のセレモニーに呼ばれて、土曜日に土湯温泉まで出かけることになりました。土湯は温泉そのものが自然活用エネルギーなわけですが、震災後には地熱を利用したバイナリー発電なども始めており、今度は砂防ダムから流下する水の力による小水力発電を実用化するとか。消費の器の問題を国家レベルで解決できるボリュームではありませんが、日本人にはもともと、自然と寄り添い力を取り出す素養があり、その引出しにウランやプルトニウムは必要ないのかもしれません。

スタミナラーメンという話は展開しても長くなるのでやめとこう。要は土曜日の午前中には土湯に行かねばならないということで、しかし温泉に入れる時間があるわけでもないなら、さらっと山越えしてしまおうかと。本当なら土曜の午後はパジェケンさんと近傍での林道ツーリングがあったので、慌ただしいながら好都合だったのですが、まだ奥地が雪に閉ざされており「中止」の連絡が来ています。

土湯越えして中ノ沢まで行って、遅い朝飯(だって朝飯食ってる時間無いんだもん)と参りますか。午後1時過ぎにはたどり着ける算段ですが、それは午前の仕事の流れ次第だね。

休日の宴会。

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お刺身っ!

お刺身っ!

連休の中日、友達夫婦と飲みました。
明るいうちからビールを飲むのって、なんか違和感。
そして、2時間経って外出ても明るいって・・・

居酒屋の後、御自宅にお邪魔して第二弾(爆)
引っ越し祝いにあげた葉っぱのフレームが綺麗に飾って貰えてて嬉しかった♪

久しぶりに一杯話せて楽しかったわ♥
今度はいつ飲む~?(笑)

f-gakubuchi

河港の町にて化かされた話

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川港1これも練習ということで、霰運転のロングツーリングを企て、津川の川屋敷を見物に出かけましたが、結果的には磐越を少し運転したにとどまり、自立の道は遠いねえと現地に。阿賀野川を利用した水運の拠点として、新潟県に位置していますが会津藩にとっては重要な場所だった津川。どの案内を見ても「日本三大河港のひとつ」という表記があるのですが、あと二つってどこ? と尋ねても、誰も答えてくれないという(一つは多分、利根川の関宿だと思う。もう一つは岡山県の旭川で勝山あたり?)

川港4屋敷の全容を撮る前にカメラが電池切れという体たらくで、見張と灯台を兼ねた望楼やら雁木の様子を記録できず。現在は新築された狐の嫁入り屋敷とともに改修されて交流館のような用途になっています。軒先の庇にあたる雁木の発祥の地でもあるとか。街並みの古い建築物には必ずそれが設置され、降雪対策の名残をうかがわせます。鉄道や道路が充実するまでは、この川岸に大量の木材用丸太が切り出され、巨大な筏群を見せていたそうです。

茶屋、という暖簾に目がとまり、うっかりくぐったら蕎麦屋でした。ワイルドな山菜天盛りのとろろ和えで昼飯とし、でもコーヒー飲みたいと喫茶の看板を見つけたら写真屋さんだったという(喫茶店もやってました)

なんだか狐につままれた感が強い日だねえと思えば、わざとらしい展開ですけど、この町は狐火伝説とやらの残る土地で、数日早く来ていれば「狐の嫁入り行列」なんていうお祭りが催されていました。

あらー・・・それは見てみたかったなと残念がっていると、霰がiphoneに記録している写真を呼び出し、参加してきたという友達から送信された、御供の狐装束姿を見せてくれまして、しかも、

「この子たち、さっき川屋敷の書画展に来ていたよ」

などとぬかしやがります。

 

おいっ、なんでそのときに言わねーんだっ

そういうところは信用ないのね、俺

 

駄作だ

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ntg-m4パトレイバー2の世界観を引き継ぐ後日譚。などではなく、今回の作品を成立させる言い訳としての、パトレイバー2の使いまわし。

ただそれだけのことじゃないですか。陸自内からの決起部隊によるクーデターは初期OVAでやったし、そのフィーチャリングのように作られたテロリストものが2。もう東京で戦争状態を生み出す引き出しが無いのです。

なぜ、素直にリメイクと言えないのか。

コンピュータウイルス、テロ、宇宙怪獣(と敢えて括る)といった具合に、映画を作る上での見せ方はその都度変えてきたパトレイバーでした。ならば今回だって、知恵と勇気を絞りつくして状況を創造しなくてはだめでしょう。わざわざ川面から首都高や東京の街や日本橋まで見せておきながら、2の時代があった痕跡すら描かないうえ、作風とやらのシーンとセリフの使いまわし。後藤田側のセリフは微妙にいじってきましたが、警備部幹部のセリフはご丁寧に2の場面を再現し、さらに今回のシーンとしてもやらかしてしまう。そういうのはしらけるだけです。

さて、妙な余韻を残して機動警察パトレイバーの今作は幕を引きました。しかしその余韻、まさかまだやる気なのか?