そのエンブレムを取り寄せて貼り付けたエスクードではなく、正真正銘の北米にあった二代目の初期型V6‐2500。しかし後ろ姿だと「左ハンドル」であることに気がつかなければちょっと見過ごしてしまいます。
これは2003年にトロントで撮影されたもので、提供してくださったはMaroさん。彼のお父さんが所有していた個体です。
このグランドビターラを運転したことが、彼のエスクードライフのきっかけであり、お父さんの影響であったそうですが、どうもそのあとに、どこかのエスクード馬鹿にも惑わされたらしく、トロントからの帰国後にノマドを購入し、その後どこかの馬鹿みたいな距離を出しているエスクードと同じスタイルの直四の2000に乗り換えております。誓って言いますが、そのどこぞの馬鹿は当時、そんなことはつゆ知らずに走っていました。
Maroさんは先ごろ、2台乗り継いだエスクードを退役させると決意しました。残念なことですが老朽化と故障の度合いで、それは避けられないことです。が、彼のお父さんが対極にいて、聞けば32年前のセダンをまだ所有しており、
「気に入った車は手放しちゃだめだよ。そういうことならおれはあのセダンを手入れして乗るから、今おれが乗っているTD61Wを譲ろうか」
と、粋なことをおっしゃる。
そんな対話を傍で伺っていたら、書き留めたくなるじゃないですか。というのが、今回出るスーパースージー107号の掲載記事ですが、かなりダイジェストにしてしまったので、30年企画webの方にフィーチャリングしようと思います。
で、その記事は掲載されたのですが、事実は小説より奇なりという「まじですか」な話を別所で聞かされることになろうとは・・・