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  ~懲りない傾向~

あんたらに関係ないだろう?

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家内がお世話になった人が事故で亡くなり、僕も顔見知りだったので弔問に行ってきまして、家内は最近お会いしていたけれど、僕は何十年ぶりの対面がそんなことになってしまった。

ローカル紙のべた記事に載ったその事故は、インターネットのニュースサイトにも配信されたようで、たかがべた記事がですよ? 全国配信され、これがまたネットニュースじゃ「写真はイメージ」とかで救急車のカットが添えられるという意味の解らない演出。何をイメージさせたいのよ?

さらには、関係者でもない有象無象がわざわざそのネットニュースを拾ってはツイートし、コメント欄でも好き勝手なことをつぶやいている。

あんたらに関係ないだろう?

事故の当事者に対して非難だ指摘だを綴ることは、たぶん表現と言論の自由。

それは認めますよ。

だけどそれだったらな、起きた事故をあれこれ言うんじゃなくて、日頃から安全啓発を何百っぺんでも何千回でも毎日毎時ツイートしなさいよ。

夏野菜。

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デカい・・・

今年もお庭で畑してます(新月サンが)
真っ先に収穫できたのが、キュウリ。
既に4~5本食べてます。
葉の陰になっていて採りそびれたのが
巨大化してました。
まあ、まだキュウリサイズだから(笑)

そんなにSUVがいいの?

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しつこいようだけど、だからこそニッチ市場じゃない?

トヨタのうわさよりも現実的に、日産がセダンの開発中止を宣言してしまいました。世の中の流れとしてEVを主力としていく方針は仕方のないことですが、クルマの形をどれもこれも箱型から撤退してしまうのって、とても腑に落ちない。その理由のひとつがセダンの売れ行き不振ということらしいですけど、それってつまり、かっこいいセダンをデザインできないからじゃないのか?

百歩譲ってSUVへの移行を果たしても、巷のクルマがあれもこれも「そういうカタチ」になってしまったら、絶対に飽きられると思うのです。そんなにSUVのスタイルっていいの?

日産と言ったら(もとはプリンス自動車のブランドだけど)スカイラインにおける「箱型」というのは、フェアレディZに対するひとつのアイデンティティーだったはず。それを無くすという決断は、メーカー内ではよくよくのことなのではないかと思います。よってこのニュースの否定発言も電撃的になされています。もっとも過去には、そのスカイラインにもハッチバックは存在したわけで、この否定がスカイライン=箱だと明言したものなのかどうか。

しかしそれとこれとは別の視点でもあります。SUVはセダンよりも荷物が積めるというのはある意味神話だし、室内空間にゆとりがあるというのも、クロカン四駆時代の名残りのような気がする。それだったらテラノやサファリを復活させてもいいのではないか? トヨタはランクル300を作っちゃったよ。

スカイラインじゃないですが

と言いかけて、待てよ? そんな世の中になっていくとしたら、うちの奥さんいよいよサニーを手放さなくなるじゃねーか! いかん、それはいかんっ といって、もはやFB13のサニー(今乗ってるのが15)は手に入らない。でもやっぱりセダンはあった方がいい! ああっ、俺は何を言いたいんだどっちなんだ(笑)

要するに、王道が隙間になるんだったら、今こそエスクードに・・・以下、しつこいので略。エスクードに至っては現行モデルの生産終わっちゃったし。

珍客。

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ホントはダメなんだけど

会社の入り口で
バサバサっゴンっ!ぽてっ
という音がして、
見に行ったらスズメが転がってました・・・
自動ドアの内側に入っちゃって、出ようと慌てて
ガラスに激突したみたいです。
このまま様子を見てたんだけど一向に飛ぶ気配がないので、
段ボールに入れてトラックの荷台へ。

暫く経ってから見に行ったら箱がカラになってたので
無事に飛べたようです。

死んじゃうかと思ったわ。

前回のオリンピックの年

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新潟市の被災50年史より

新潟地震は1964年6月16日の発災だったんですね。

記憶している最初の大地震がこれでしたが、祖母が市内に親戚を持っていて、祖父が復旧支援に出かけて行ったことを覚えています。にもかかわらず、いつのことだったかは失念していて、阪神・淡路大震災でこれ以降の大地震も脳内上書きされていたようです。

石油コンビナートが3週間も炎上していたり、集合住宅が倒れかかっていたり、橋が桁ごとに落ちていたりの写真が掲載されたグラフ誌を、祖父がずっと大事に所持していたのに、いつの間にやら紛失していました。

巨大災害ながら日本海側の限定された地震であったことが、当時の東京オリンピック開催にどのような影響を与えたかは知る由もありません。高度経済成長の戸口でもあり、復興の先の希望を担っての開催だったのでしょう。

今回のオリンピックには、そういった心情的な拠り所を感じられないのが、コロナ禍に対する舵取りの奇妙さだと感じます。「70%以上の選手や関係者がワクチンを打つことになっている」とIOCは言いますが、それあまり説得力にはつながらないよ。我々がワクチン接種を受けられるのが、自治体公表では7月以降。僕も含めて、人によっては一回目の注射が打たれる頃、大会は終わっているんじゃないか?

感染者発表が「先週の同日に比べ減少」などと言われても、数百人単位で確認されている現実に、安全も安心もない。死ぬほどサービス残業を強いられているという組織委員会職員には同情しますが、その歯止めの効かなくなった開催準備は、冷めた目で眺めていると、大戦末期の日本の姿とオーバーラップしてしまうのです。

ゴシゴシ。

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下準備大事。

会社の営業車です。
バックモニターのカメラが両面テープの劣化で
ぷーらぷら。
だましだまし付けちゃ落ちてを繰り返してたけど
観念してテープを貼り替え中。
まぁ、粘着がダメになったテープじゃ何回付けても
無駄よねぇ・・・

 

謎の地球防衛軍 異聞の二

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地球防衛軍の精鋭において「相当程度血の気の多い人」(本文ではなくコメント欄)とSIDEKICKさんが言わしめるキリヤマとクラタは、士官学校時代からの僚友。宇宙ステーションV3以前のクラタの赴任先は明らかではありませんが、脚本(V3から来た男)から略された設定では、ザンパ星戦役のあと、アイロス星人の追撃戦で深追いし部下を全滅させた責任を取らされ、マナベ参謀から左遷通告を受けV3に転属となっていたようです。

そこは「クラタって以前はどこにいたの?」という謎といえば謎なのですが、それは割愛。クラタが二度目のアイロス追撃に失敗して地球に落ちてきた際、フルハシとアマギが乗ったウルトラホーク1号も撃墜され、秩父山中に不時着していく場面があります。おそらくステーションホークも同じエリアに墜落・爆発しているはずで、クラタさんはパラシュート脱出後、極東基地へ自力で帰還するのですが・・・

とりあえず秩父鉄道秩父本線の三峰口駅あたりから列車で戻ったとして、熊谷へ出て東京駅を目指し新幹線を使って小田原駅に辿り着き、防衛軍の迎えを待機させるとすると、三峰口から乗り換えの具合が良かったならば、極東基地まで約5時間弱でやってくるのが、現代のダイヤ編成上の所要時間。三峰口まで車で迎えに来させた場合は、3時間弱というところです。その後、アイロス星人に捕らえられ、疑似生命を作り出された偽フルハシと偽アマギがどれくらいの時間差で基地に潜入してくるかは不明ですが、これもクラタの後に帰ってくるので、撃墜から8時間くらいは経過していると仮定します。

さらにこの偽者が固形燃料奪取に失敗し、アイロス側から脅迫の通信が入るまでの時間経過も不明で、通算10時間後ともう一度仮定するわけですが、なるほど「12時間もありゃジェット機だって直らぁ!」の名言のとおり、アイロスとの人質交換にホーク3号で出たキリヤマを追って、クラタは平然とホーク1号で出撃し、キリヤマと組んでアイロス円盤と地対空攻撃に移るのです。いやその、1号、秩父山中からどうやって回収して修理してたの?

ホーク1号は全長40mクラスの大型攻撃機ですから、墜落地点から陸路で運搬など、機体を解体しても困難で、そもそも墜落地点に車両を入れられないだろうし、既に存在が否定され始めたホーク3号C型で空輸するしかないでしょう。それも、各機体ブロックごとに何度も往復することになりそうですから、半日でこれをこなすのは無謀な気がします。また、ものの本によると1号は開発コスト度外視で作られた機体のため、ジェットビートルやマットアローのように複数機体を持つことができたのかどうかが不明です。

しかし、状況を精査すると、クラタが乗って行った機体は、どうしても「予備機の1号」としか思えない。物語の展開が部下の安否か攻撃かで意見をぶつからせながらも、僚友を守ろうとするクラタの心意気と、その心情を見通しているマナベの粋なはからいに目を奪われ、ウルトラホークの話なんかどうでもいいところに追いやられてしまいました。もうひとつ指摘するなら、ロケット弾ポッドを装備している1号なんて、この流れをあらかじめ読んでいなければすぐにはできないように思える。これって「たぶんそんなことだろうよ」という、マナベの差し金で、クラタが作戦室にいる間に手配されていたのではないでしょうか。

かくしてアイロス星人との戦いは幕を下ろし(思いきり端折って)、クラタは単身V3へと帰還していくのです。来た時に乗っていたステーションホークは墜落・爆発してしまっているので、ウルトラホーク2号を使用するんですが・・・

副操縦士が乗っていない2号でV3に行っちゃったら、その2号をどうやって戻したのだ? 都合よく誰か地球帰還予定があったのか、それとも完全自動制御か!(さすが、今風じゃないか)

 

休みの午後はドライブ。

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道中のPAに居った雛ず

唐突に
「野沢菜を買いに行きます!」
と宣言され、お気に入りの某スーパー軽井沢店・・・
ではなく、前橋に出かけてきました。
去年の11月にオープンしたらしいです。
峠越えしなくていい分、楽?
(遠いけど)
来週にはみどり市にもオープン予定。
・・・新月サンが群馬のお客さん行った時に
「ジョイフルに用事あります?ツルヤは?」と
電話よこしそう(笑)

夏の絵葉書展やります

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昨年、マミポコさんと試しに開いてみた絵葉書展を今年もやってみようと思います。

だっていつまでたってもオフラインイベントできそうなムードじゃねんだもん(だだをこねるな)

細かいことは、固定ページに載せてありますので、ぜひご参加ください。

 

前倒しの未来

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「はやぶさ」の帰還から11年は、スペースシャトル退役からの10年でもあります。この短い年月も、技術の進歩は未来を手繰り寄せていました。宇宙往還機がロケットの姿に戻り、国家事業から民間ビジネスへと橋渡しされ、貨物から有人運搬へと、ステージの拡張が進んでいます。今後、スペースシャトルを知らないという少年少女はいなくとも、それを見たことのない世代は当たり前のように、クルードラゴンのような打ち上げと帰還を目の当たりにしていくのです。

それにしてもですよ。そのクルードラゴン(ドラゴン2)自体はロケットによる打ち上げ方式に後退したとはいえ、多段式のブースターは使い捨てではなく遠隔操作で回収され、しかも高圧噴射と姿勢制御によって地表に戻ってくる。

多くの人が「まるでひと昔前のSF映像みたいだ」と言っているように、まさにその空想科学がブレイクスルーした技術として実現しているのです。

再使用可能のロケット式宇宙往還機。このイメージを遡ると、僕の世代はおおむね(概ね、ですよ?)サンダーバード3号に行き当たるのです。現実の現代の往還機との違いは、多段式でなく単機であることが大きな違いですが、サンダーバードは1960年代に「100年先の未来」を描いていました。このことをさらに広げて考えてみると、ジェリー・アンダーソンの想像した世界を、現代の往還機は40年ほど前倒ししたことになります。

そうだとすると、ここから100年くらい未来を見ていく次世代の人々にとっては、今は計画が進んでいないJAXAの「リフティングボディ飛行実験計画LIFLEX 」だって、再使用宇宙往還機のひとつとして出来上がっていくかもしれない。早ければ50年後の人々が「ウルトラマンのジェットビートルや小型ビートルって、100年前に創造されていたんだ」と感じてくれるかもしれない。そんなことを考えてる本日が、初代「はやぶさ」の帰還日です。