映画上映の折、僕は「20点もあげられない」と感想を書きましたが、DVDを買っちゃうところが逃れられない009へのファン心理であります。いやいや、単発の映画として見たらば、これはこれで面白いことは面白いんです。だから、とあるアニメーション監督さんなどは「50点」と論じたのだと思うのです。
だけどこの映画は攻殻機動隊じゃないし、ましてや「天使編」「神々との闘い編」に決着をつける、といううなら、これじゃいかんだろうと感じたのが、上映時の率直な気持ちだったわけです。それは、モノクロ時代のサイボーグ009の最終回と見比べればわかります。
「具体的な存在としての神にはしたくなかった」
監督と脚本の神山健治さんは、このソフトのライナーノーツで語っていますが、それならば、とヒトが神を描き出すきっかけとプロセスの解釈についてはいかにも甲殻っぽいながら面白かったのだけれど、その論調で逃げ切ろうとしなかったのは無責任。結局は「我々の世界の外側にはもっと大きな存在があるのではないか」として、天使の化石とやらを扱っている時点で、それはもう立派に具体的な存在じゃないかと思うのです。
というわけで、「平和の戦士は死なず」に出てきた人心を惑わす目つきの悪い人形と、今回の天使の化石はほぼ同一のガジェットであり、この映画は頭のてっぺんから足のつま先まで、「平和の戦士は死なず」を今風に描いただけ。それで決着をつけたというなら、「009も作者も疲れてしまったのです」と休載宣言した、当時の原作者の方がよほど正直です。
ライナーノーツのインタビューによれば、リップサービスとして「(続編も)あり得る」とおっしゃる。劇中でヒトの世を滅ぼさんとする悪意としての「彼の声」は、それをとらえた者の解釈次第で、その者を正義にも悪にも変え得る。009とは対極の立場で「彼の声」を成し遂げようとする新たな敵との闘いが予見できるという続編への構想だそうですが、よもや誰がやってもいい続編を本人が語ろうとは。
彼には任せられませんです。へたをすると「太平洋の亡霊」とか「復讐鬼」あたりを焼き直して「Xの挑戦」を作りかねない。