リビングの出窓にモリっと置いてある沢山のぬいぐるみ。 最近はながその中の一個で遊ぶようになりました。 何故か〝お座りしてる猫〟 たび助はシャチとかイルカが大好きだったなぁ。 猫より子ガモのぬいの方が咥えやすいサイズだと思うのは 人間の勝手かな?
日付まで覚えていないのが痛恨の極みですが、スズキX-90は今月、発売から四半世紀を刻むこととなります。誕生となるとその2年前の東京並びにヨーロッパでのモーターショーに遡るものの、量販車としての登場は1995年10月のことでした。私的なことを言うと、うちの霰と同い年で、もしも、ですけど霰が(12月に)生まれる予定がなかったら、最初に乗った初代ヘリーハンセン・リミテッドからの乗り換えに引っかかっていたかもしれません。
奇しくも我が家は「子供が生まれるしね」という慶事により、ヘリーハンセンからカタログモデルのV6-2000ハードトップを選択していました(ノマドじゃないのかって突っ込みはもう手遅れです。まあうちにはノマドも1600があったし)
国内では1348台という総販売台数と、この風貌がずっと尾を引き、ことあるごとに失敗作だの迷車だの言われてきましたが、そんなことをうそぶくあんたちょっと考えてみなさい。
台数不明ながらヨーロッパじゃそこそこの人気を博し、コミューターからバリバリのクロカンマシンまで、それこそユーザー思いのままにかわいがられいじり倒されてきました。国内で売れなかったのは事実として、これを手にする度胸と愛嬌が無かっただけのことで、日本人その程度のクルマ選びなのよと、スズキ初のV6だし子育てあるしとハードトップのエスクードを95年に買い替えた僕自身が、自戒せねばならぬと思っています。
当時からX-90は、極めて高いスペシャリティテイストを持った四駆だったのです。そう、SUVじゃなくて、四駆、です。そして、この時期既に開発がスタートしていた二代目エスクードには、初期のデザインイメージにコンバーチブルがありました(初代のデザイナー・片岡祐司さんによるもの)。X-90は片岡さんの作ではなかったと思いますが、まさにその姿を予見しています。結果だけを引っ張ってきて珍車扱いするセンスの方が四半世紀、動脈硬化してるってことです。