Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

Team WESTWIN Warriors #034

10 Comments »

TDA2011年第一戦の結果が入っています。福岡県モビリティおおむたのコースコンディションはマッド&どぼとぼの水びたし。参加車両は15台。主催者側は表彰制度を今回に限り凍結し、商品提供をとりやめ、参加者の同意によって震災被災地のためとしたチャリティイベントとしました。

前年度チャンピオンとして幕を閉じたエスクードTA51Wの後藤選手は、いきなり第1回戦でパジェロ3500JトップのH選手と対決し、敗退。H選手は全国区のダートランナーとして島監督からだけでなく広く実力を認められているドライバー。戦う相手としてこれ以上不足のないカードでしたが、とりあえず敗退。いつかタコ殴り確定の後藤選手はここから敗者復活戦を勝ち進み、ベスト4まで這い上がります。

川添選手は順当にベスト4に勝ち進んでいますが、実は彼、前日に社命によって地元のマラソン大会に出走しており、足の筋肉が張り詰めるほどのハンデを抱えてしまいました。出るからにはマラソンだろうと全力疾走してきたらしく、ペダルを思うように踏めません。その上での準決勝が、再び同門対決。パジェロミニ対エスクードの展開を見せることになりました。こうなるともう、意地で筋力を絞り出す執念の走りですが、エスクードに敗れて3位決定戦に臨んでいます。

3位決定戦で川添選手と当ったのは、パジェロロング・ディーゼルのN選手。彼もウエストウインが注目するドライバーの一人です。天候を検討してマッドタイヤをチョイスし、コースにやってきていたことが的を射て、中盤にH選手に敗れながらも敗者復活戦からベスト4の一角をもぎ取っていました。この2人の3位決定戦は、「重く長いパジェロ」「軽く小さなパジェロミニ」のバトルですが、今回のコースレイアウトの特徴としてストレートを長めに作ってあり、双方に有利な条件のなかでも、N選手に軍配が上がりました。川添選手は4位となりましたが、島監督も「よくあの足で最後まで走りぬいたと思います」とのこと。

一方決勝戦は、この流れでお分かりのように第1回戦のカードの再現。タコ殴りのリスクを抱えながらも後藤選手はよくぞここまで勝ち進んできました。ここは彼の根性に免じて鼻ピンくらいに軽減するとして、しかし対戦相手はウエストウインがまだ一度も負かすことのできていないH選手。パジェロJトップの戦闘力も高く、その力をフルに発揮するドライバー相手に、渾身のアタックを仕掛けます。

「彼は、どんな車でも乗りこなすだけでなく、1戦ごとの状況把握がうまい。TDAは1回戦を先攻めあと攻めで2本走るわけですが、その際のミスによるタイムロスをどこで挽回するかを即座に組み立て、実際にタイムを縮めてくる。天才的なセンスとテクニックの持ち主です。うちの後藤君は、これに対して相手が誰でも全力疾走のタイプ。だから駆け引きは不得手でしたね。たとえばトーナメント表を見た瞬間、誰と当るように序盤のペースを作っていくかという駆け引きなら、川添君のクレバーさが誰よりも優れています」

という島監督の評価の通り、優勝はパジェロJトップのH選手。2位にエスクードの後藤選手という結果となりました。後藤選手は1秒少々で優勝を逃したそうですが、エスクードに関しては、今回はタイヤサイズを落としたことによって剛性を確保し、ブレーキもより使えるようになっています。しかし彼はブレーキ勝負に頼らず、前車の旋回減速時にカウンターを当てて肉薄していき、エンジンの回転数を温存して脱出速度を維持するなどのテクニックを使いこなしていたそうです。鼻ピンはデコピンくらいにしてあげましょうか。

島監督は大会を無事に開催できたことについて、こうコメントしてくれました。

「今回の開催に関しては、各地の被災者の皆さんには申し訳ない気持ちをぬぐいきれないながらも、関係者一同、なにか元気を分けてあげたいという思いで運営させていただきました。
 皆さんもくれぐれも元気な気持ちをなくさず、日々を乗り切ってください」

皆が皆、すべてを肯定してくれるわけではないのですが、様々な状況や事情の中で切り盛りされた主催者の方々や、近傍も遠方も含めて福岡に集まられた選手陣、チームスタッフ、ギャラリーの皆さんには、監督のメッセージをいただきながら、ありがとうとお返しします。お疲れ様でした。次回の熱い戦いも期待します。

監督、後藤選手に軽くデコピンはやっといてください。

Team WESTWIN Warriors#033

6 Comments »

いよいよ今年最初のTDAが開幕です。あちこちで災害に苦しむ人がいる中、燃料の浪費でしかないイベントなどけしからん、という風評被害もたくさん出ていますが、元気を出せるところには元気を出してほしい。こちらのフラストレーションを吹き飛ばすような熱い戦いを期待したいです。

「現実に自粛なさってエントリーを取り下げられたチームもありますが、この大会をチャリティとして開催する趣旨を説明したところ、やりましょうと言ってくれた人もたくさんいらっしゃる。だから、集まってきてくれるだけでも意義のある大会だと、参加者が胸を張れる下支えをします」

島監督は、主催者の一人として多くのことを背負っていますが、背負ったうえで前に進もうとする意志は、こっちは手も足も出ないながらも後押ししたいと思うのです。

後藤選手、川添選手の車両については、以下の状況。

「後藤君のエスクードは、205-65R/16 GEOLANDAR AT-Sがなんとか間に合いました」

島監督によると、タイヤ在庫がなく、首都圏から取り寄せようとしたのですがこの震災で輸送が停滞し、ややもすると擦り切れた古いタイヤのまま出走しなければならなかったそうです。この時代のエスクードの純正サイズは、確かに品薄で、我々だって65扁平は使っていません(BLUEらすかるの夏タイヤで225の70だもの)。ましてジオランダーなどは3代目規格に移行して人気を得ていますから、やきもきしたことでしょう。
今回、後藤選手はマフラーをチームメンバーでもある今井自動車さんに製作依頼しており、これも完成したそうです。

一方、川添選手のパジェロミニも、エンジンピストン等交換、ヘッド面研、インテ-ク、エキゾーストマニホールドポート研磨、その他各部組みなおしを施し、非常に軽く回るようになったとか。ターボ過給コントロールも加えられたらしく、後藤君に再挑戦する準備が出来ました。

しかし、福岡は怒涛の雨。コースは泥濘のレベルどころではない「田植えしましょう」状態だそうです。

結果は・・・せっかくだから明日のブログにて。

Eの付くSUPERMOON

2 Comments »

38万4400キロという月軌道と地球の距離は、おおむねそんなもん、という文献からの平均値で、つくばーどでは採用しています。おおざっぱに言えば、27日と何時間の周期で公転しているお月さんも、遠ざかったり近づいたりしていて、遠いときには40万と6000キロを越えています。その逆が、スーパームーンと呼ばれているらしく、今宵の月は35万6567キロという最接近値に対して、だいたい35万6577キロと試算されているから、極めて近いところで満月が輝いていることになります。19年ぶりの大接近だそうで、そういう時には「エクストラ」の冠が付くみたいです。

遠ざかった時と近づいた時のみかけの大きさは1円玉と10円玉の大きさくらいだと言われており、今夜は14%大きく見え、明るさも30%の増量ということです。午前4時ごろが、満月の完成。こういう事象は、いいこと悪いこといろいろ言われており、NASAまでもが見解を求められているのがなんとなく滑稽。しかし我々は、ペガッサ星人にあきれられたように、生息している天体の軌道を変えることなどできない未開の種族ですから、何を言われようともほっとくしかない。

ただ、ちょっと失敗したのは、先代のらすかるを走らせていた頃、ブルームーンだとかスーパームーンだとかの風物詩を知らなかったことです。先代が35万キロに到達したのは2004年の1月22日。実際の月と地球の距離は知りませんが、この日はばりばりの新月でした。実際の月が前回最接近しているのは、スーパームーンの周期に倣えば1992年あたり? おおっ、まだ先代のらすかるどころか、エスクードにはV6すらないよ。

現在、仙台でくすぶっているBLUEらすかるは、33万1500キロ。うむむむ・・・かすりもしていない。この話題を提供してくれたマミポコさん曰く「最接近でも月って遠いですね」とは、まったく同感です。まだまだ先は長い。

タクシードライバー

6 Comments »

急患のときの話なので、状況が改善していればいいのですが、病院から作戦室までの帰り道がわからない。しかしさすがに帰りも救急車というわけには行かないので、少しの間病院のロビーで車寄せにやってくる車両をながめ、タクシーが来てくれないかと待っていたモノの、夜も遅いために来ない。仕方なく病院を後にして、事務員が教えてくれた道順を戻るために大通りに出て歩き出したら、人通りの途絶えた片側2車線の通りの向こう側を、空車のタクシーが走ってくるではありませんか。

うわー、反対側だよと思いながら手を挙げてみたらば、あげてみるものです。交通量が途絶していなかったらやってくれなかったと思いますが、タクシーはUターンしてこちらに回り込んでくれたのです。それでしばし、住所と近場の建物の特徴を説明して、作戦室の近くまでは走ってもらえることになり(到着してみれば車なら10分の距離だったから、ちょっと悪いことをしましたかねえ)、なんとか帰還できました。

その車内での対話。運転手さんも土曜日まではフル稼働できたが、やはり燃料の先行きが不明瞭になり、会社の方針で一台あたり30リットルの液化ガスしか補給してもらえないとか。それでどのくらいの距離を走れるのか聞いてみたら、乗せてもらったクラウンの古い型だと、せいぜい100キロ程度。燃料用ガスが補充されなければ、多賀城あたりならいいけれど、塩竃を超えたら乗車を断念していただくしかないとのことでした。

この翌日、僕も出勤前に早朝からスタンドに並び、長い時間を待ち、半分以下になりかけていたBLUEらすかるの燃料を80%くらいまで補充できたのですが、このときも前の車が前夜と別のタクシードライバーの自家用車で、給油時に話していると、昨日まで自分の車に燃料が入れられず、ガス欠寸前で出社すらできなかったと安堵していました。このスタンドも作戦室から徒歩なら3分という距離にありながら、並んでみたら4時間かかったというすさまじさで、うちよりも後ろに並んだ車はそれ以上の待ちになったわけです。

「スタンドというのは通常時でも2日分くらいのストックしか持っていない。だから一度に殺到しちゃえばあっという間に枯渇しますよ。それはわかっているんだけれど、何日も通勤できないとなると、非常識でも並ばなきゃならないんだよね」

タクシー車両にフルタンクで補充する場合は、自腹を切るしかないけれど、この状況では隣県に行きたがるお客には巡り会わない方がありがたいという言葉は、実感を伴っていました。

お花見プロジェクトやりましょう

8 Comments »

つくばーどサイトでは毎年3月から5月頃にかけて、「桜の風景」というweb写真展を開いています。毎回各地の人々が近所の花見スポットから名所の桜に至るまで、さまざまな桜の写真を提供してくれます。
ことし、この大震災のさなかでどうしようかと1時間ほど迷った挙句(1時間かよ)、ことしやらないでどうするんだと意を決しました。東日本のかなり大半の地域で、被災されている方々の数も計り知れませんが、そこはお詫びします。花粉症の方々にとってもつらい季節ではありますが、それもごめんなさいと申し上げます。

それでも、たまには空を見上げたいと思います。河津桜は既に開花していることと思われます。ソメイヨシノについては、日本気象協会の予測が目安になるでしょう。ことしは、基本テーマを「近所の桜」でいきましょう。「遠出して撮ってこられるぜ」、という方には安全に留意していただきながら、お任せしますが、あまり労をかけずに、「近所のこんなのでもいいの?」といったものでも充分です。

ぜひ、桜の風景をお送りください。下記要領でお待ちしております。
送り先はリンクに記してあります。

http://tsukubird.org/other/sakura11/sakura2011.html

ご提供いただく写真のこと。
640x480ピクセル(1点)
320x240ピクセル(2点)
写真の紹介コメント(場所や日付、風景の解説)

写真のサイズ変更が困難な場合はこちらで調整します。メイン写真がどれになるかを、ファイルナンバーやファイル名でメールに明記してください。なお、ファイル名にはひらがな、漢字、カタカナを使用しないでください。
締め切りは、とりあえず根室あたりの桜が開花するまで。

つくばーどサイトはクルマ道楽の作りですが、この写真展ではクルマと桜をジョイントする必要はありません。
クルマとのジョイントの際には、ナンバー文字消し加工はこちらで行います。逆に人物が写っている場合、顔にモザイクなどをかけませんので、ご周知下さい。

よろしくお願い申し上げます。

救急病棟にて

4 Comments »

実は日曜日の夜、不覚にも38度の熱が出まして、病院に担ぎ込まれました。具体的な体温はわかりませんでしたが、よもやインフルエンザだったらどうすっか!と、救急車に来てもらったのです。その車内で問診を受けながら、どのくらいの熱だったのかを計ることとなり、急患を受け入れてくれる病院に搬送してもらうことができました。

結論から言えばインフルエンザの疑いはなく、血圧が異常に高いことと喉風邪という診断で、そんなんで救急車やら急患受入れやらを煩わせてしまって申し訳ないことになりました。が、救急隊員もドクターも親切に受け入れと対応をしてくれて、なにより対話ができていることのありがたさを実感しました。

14日のブログで「逃げ出しようのない境遇ながら、逃げ出したい場所のある人間にとっては、けっこうこたえます」と書きましたが、そのあとに、このくだりを綴るつもりが、気力が落ちて中途半端になってしまいました。

風邪の件とは別に、血圧に関して、茨城においては主治医の治療と指示を受けて薬の処方を受けており、先週末の帰省には医者にかかりに行くという予定があったのです。処方されている薬がなくなるタイミングでもありました。そこへ来ての被災で動きが取れなくなったため、これは困ったと思っていたところへのこちらの病院。迷惑をかけながらも、担ぎ込んでもらえたことがどう幸運だったかというと、被災以前の段階で、急病になった場合どこにどんな病院があり、どういう道順でそこへ行くかを熟知していなかったからです。かかりつけの主治医への信頼は大きいので、定期的に帰省してそこで診察を受けるからと、紹介状はいらないと言って仙台に来ていた。車の維持管理も、床屋に至るまで、いきつけに委ねていますから、すべて茨城。それを悪いとは微塵も思っていませんが、詰めの甘さも露呈しました。

なんだよ、よそ者を築き上げているのは自分自身なのだよ。

日曜日の昼間に痛感していた疎外感は、夜遅くに半分くらいは小さくなって、熱の下がるのと一緒に少し楽になりました。まあ書いちゃったものは取り消せないので、よそ者である事実は変わらないんですけどね。

という具合にやたらと長い前置き(前置きだったのか!)を切り上げて、担ぎ込まれた病院では、非常事態ゆえに処方してもらえる薬が2日分なのです。これが切れたらどうするのかという不安のもと、昨日、急患で入った診察代などを支払いに出かけ、この病院でのIDを取得してあらためて高血圧の診察を受け直し、30日分の処方を得ることができました。

が、院外処方で入ってみた薬局に、薬の在庫が充分にない。壊滅的被災地の避難所にさえ、満足に医薬品が行き渡っていないのだから、これは文句の言いようもない。店によっては最大7日分まで。という張り紙さえ出ています。このあたりでまた、地元の人なら短期に通院するのにも慣れているだろうしなあと、来たばかりの人間にとって厳しい現実を見るのです。3軒目の薬局で、14日分の受け取りができて、残りは医薬品が補充できたらという話となりました。ありとあらゆるものが枯渇していることをいろいろな側面から知らされます。

ところで、自分であんなセリフを、受け狙いでもなんでもなくいう羽目になるとは思いもしなかった、今回の急患。どこにある病院に搬送されたのか、わからない僕は、診察を受けて落ち着いたあと、まじめにこう言うしかなかったのです。

「あのー、ここはどこなんでしょうか?」

インターネット

4 Comments »

国家の革命をも成就させるほどに発達したインターネットの情報ツールは、そんなたいそうなことではなくとも、孤立している今の生活に、元気を分け与えてくれる役目を果たしてくれています。だけど首都圏の被害状況を知るに至っても、こちらも何もしてあげられない無力さも味わうのです。まあそこはほんとに、空元気ででもお互い頑張りましょーと言うしかない。

あちこちのツイートやブログを見ていて、やれやれと思うことや、ぶっとばしてやりたくなることを書いているものもあるのだけれど、見に行かなければすむことをつい見てしまうのも、自分でもさもしいなあと恥ずかしい限り。しかし共通の事象に面していながら、まだ余裕と猶予があるという地域の情報も入ってきてしまうのが、インターネットの世界なんですね。節約の話を書き出していながら、実は所有している資産の自慢話をしたかっただけの大ばか者から、政策の不手際を専門に叩いてくる正義感のつもりでも大局は見なかったことにしている小バカな記事まで、いろいろです。これらが入り混じると、正論までもが穿った見方をされていないかと心配になります。といって、自分もブログというツールによって好き勝手なことを書いているのだから、これが癇に障る人もきっといることでしょう。そこはもう、ごめんなさいとお断りするしかないのですが・・・

被災以来、絵日記のように楽しみ、そこそこ工夫をしてきた挿絵をやめたのは、それほど大した意味ではないのですが、仕事で被災地を歩いて・・・僕がうろちょろできる範囲は不幸中の幸いにも修羅場の土地ではありませんが・・・それでも今の仙台の風景を、自分のブログで見せたいとは思えなくなったのです。テレビの特番で散々見せ続けられた瓦礫の山や泥の海と同じ風景を、なんで個人の好き勝手な書き殴り文章に添えられましょうか。未だに続く大小の余震を受けながら、誰かが怪我をしたり亡くなられた現場を毎日見ていると、ネットの中でまで、違う土地での似たようなスチルを見せられるのは、きついですよ。我々はスポークスマンではないのですから、そこまで頑張ることはないと思います。

一方で、ありゃっと思わされるところで、僕自身のことを案じてくれている記述を見つけると、逆位相で胸がしめつけられます。ありがとう、うれしいです。だけど、最近のネット環境は功罪入り乱れてセキュリティの壁も立ち上がっている。そこに登録してログインしないと、お礼のコメントも書き込めない。SNSという環境になじむことができない、古い体質の自分が問題ではあります。うちのサイトの掲示板も、このブログも、不正な書き込みやスパムの類はブロックしたり削除したりを手作業でやっていますが、可能な限りどなたでもコメントできる環境でありたいからです。

阪神・淡路大震災のころのインターネット環境は、今のそれとは少し違っていたような気がします。もっとも当時だと万人のツールというわけでもなく、役所や企業、大学の枠組みで構築されていた時代でしたか。神戸の被災状況をスチル入りで情報発信している大学の研究室に、新聞社だったかが「そのスチルと記述を使わせていただきたいのだが、どういう手順を踏まえればいいか」と問い合わせたところ、「変なこと言いますね。インターネット上の情報は共有して活用されるべきものだと思うけれど」と返答が返ってきたっていうエピソードは、著作権法のなかったころの、それこそ都市伝説なのかなあ。SNSの時代になってから、そういったオープンなネットワークとは異なるものになったような感じがします。

僕はもうしばらく、ログインしたきゃ登録者になれ、という世界とは距離を置いて、どこかの馬の骨でいたいと考えるのです。

メッセージを読む

2 Comments »

Dear Esclev moderator,
Very sorry to hear the tsunami in japan,
and deeply condolences to all victims there.
I am a user of Suzuki Escudo in Indonesia.

Thanks
Ariefcm
Escudo 1995
メールの抜粋ですが、たくさんの激励をいただいた中からの代表として。
というより、唯一面識あるいはネット交流のなかった人からのメールを選んだというのが正確な言い方か。
インドネシア共和国も、火山と地震災害では甚大な被害を受けているところです。
2004年だったかのスマトラ沖大地震による大津波は記憶に新しいですが、今回の東日本大地震を原因とする津波は、環太平洋のこの国にも到達していたそうです。世界各国からの救助支援が駆けつけてくれる中、インドネシアからも救援隊が来てくれるようです。そのインドネシアとは、エスクード仲間として何人かの友人と交流していますが、この方からのメッセージは初めてでした。ありがとう、遠い海の彼方から。

よそ者であることの実感

6 Comments »

地の利に明るくないこと、頼れる人がいないこと、何よりも地元の人間でないということ自体が、ここにいたくないという心理を働かせるのです。

家屋を失った人たちは、それどころじゃないことは理解できるけれど、土地に根付いて生活している人たちは、浮足立っていない。逃げ出しようがないのだから、そうすることが一番、元気でいられるのでしょう。これは、同じ逃げ出しようのない境遇ながら、逃げ出したい場所のある人間にとっては、けっこうこたえます。

2晩目の余震の中で

6 Comments »

帰省するつもりだったから、洗濯物がたまっているなあ・・・

土曜日の午後に並ぶだけならんでわずかに物資を追加調達したあと、市内ではスタンドが大混雑で給油のしようもなく、思い立って48号線を天童まで行ってきました。そしたら山形県も広範囲で停電していて、宮城同様にガソリンや灯油を買い求める車の行列。2軒で「もう灯油だけです」と断られ、3軒めで「今日は2000円分だけ出してます」のやっぱり混乱ぶり。

仙台の被災と、岩手の惨状しか、ワンセグ放送やFMラジオのニュースでは聞くことができなかったので、山形の様子はまったくわからなかったのです。作並温泉を越えてから、FM山形を受信して、停電の状況や復旧の様子をようやく知り得ます。

ここで感心したのは、山形のFM放送はリスナーの投稿とタイアップしながら、どの町のどのあたりが停電解消したか、どこへ行けば何を売っているかを、ずっと放送していたのです。仙台ではそんな余裕はない状況とはいえ、放送されるのは津波の録画と被災地ごとの死者、行方不明者の数ばかりで、ライフラインがいつどんな形で復旧してくるのかの情報は得られなかった(とある局のみ、都市ガスの復旧段取りを説明していましたが、それを聞いて当分復旧しないということがわかるとは・・・)

不謹慎ながら、こっちにいたら東京都内の交通マヒと避難所の帰宅難民の数なんかどうだっていいんだよと思いながら、繰り返される被害拡大ばかりのニュースと、真っ暗な窓の外の遠くの空が赤い景色を一晩中見せられたら、気が滅入るのでした。そしてコムロさんと取れた連絡の中で、茨城の状況がかなり良くないという話に慄然としたものの、当然のことながら基地周辺の情報はニュースに流れるはずもなく、やきもきさせられています。

携帯電話の爆発的な普及が通信網の混乱を招く災害時だけに、つながらない家族との連絡途絶は今も継続中。なんとかならんものか・・・ だけど東北の各地でも新たな地震が相次ぎ、長野や新潟へも拡大している状況。我が家だけ・・・っていうわけにはいかないのだなあ。さっきまで皆さんそれぞれの被災のツイートやブログを拝見していましたが、みなさんそれぞれに大変だったこと、お察しします。