Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

ひとまず生きております

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ご周知のように被災しております。昨夜はライフラインが壊滅して真っ暗闇の部屋で凍えていましたが、現在は電力が復旧し、水道も今のところは出ております。被災された方々、なくなられた方々に言葉もありませんが、まずは報告いたします。メールや電話をくださった皆さんにも、厚く御礼申し上げます。

震度7というのは、仙台の目抜き通りをとろとろと走っているのに、まるでロックセクションをダッシュしているような感覚でした。街路樹は揺れるわ窓ガラスや外壁が落ちてくるわの様子など、見ていてもなんだかわからず、音だけがそこらじゅうから突き刺さってきました。

しかし目抜き通りにいたからこそ、車もつぶれることなく、自分自身も怪我ひとつ負わずに事務所に戻ることができ、フロア内の惨状を放置せざるを得ないとはいえ封鎖し部下を帰宅させ、まだ明るいうちに作戦室にたどり着けました。県内各所や隣県の被害を考えれば、たぶん奇跡です。

これから物資がどの程度入ってくるのか、見当もつかないほど、街の店頭には何もありません。かろうじて昨日のうちに確保できたわずかな食料と、えいるさんが転勤祝いに提供してくださった非常食キットが、ここ数日の生命線となりました。だけど当分、街から動けそうもないです。茨城の被害も想像以上に大きいらしいので、ストレスがたまります・・・

菓子鉄

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なるほど製造過程を知っていれば「それはそうだ」と気が付くのですが、いきなりこれで「バームクーヘン」と言われたときには「ななな、なんで?」と目を丸くしてしまいました。だめじゃん、小美玉市のはしもとさんとこで製造過程なんかを見せてもらっているのに・・・

というわけで、はやぶさのバームクーヘン。なんてものが、沿線の停車駅には売っているようです。盛岡駅においては、東北限定とうたっていたようです。が、なんとこいつは福岡市で作られているのでした。

 

箱の中から出てきた保障番号票によれば、福岡市東区の博多菓子工房二鶴堂さんの製造。同店のサイトに行ってみてびっくりですが、実は明日全線開業する九州新幹線のN700系さくらのバームクーヘンの亜種ではありませんか(笑)。そしたらさらに先達があって、あの500系のぞみでも商品化していたという、よく知られたお菓子だったようです。さくらも期間限定発売らしいですから、菓子鉄、なんていう人がいるなら、はやぶさとともに今のうちが買いではないでしょうか。

地震のころ圏外でした

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運がいいのはこういうことかと、三陸沖震源の地震については体験せずに、各方面からの「大丈夫か」メールで知り得ました。ご心配くださった方々、ありがとうございます。

事務所に電話がつながらなかった十数分間は、大丈夫じゃないのか? と緊張しました。仙台に戻ってみれば、実際には震度4だったそうです。作戦室への被害も皆無で、一安心しております。でも、これが取り沙汰されている宮城沖大地震とは因果関係ないらしいというので、油断できないのね。

鉄の達人の人たちは・・・

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こんなんでもどこの路線の何駅近くか、わかっちゃうんでしょうねえ。

ご飯炊かなくちゃ・・・

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ただのとん汁だと言えばただのとん汁ではありますが、新潟の新井(妙高市)にあるたちばなのとん汁は、やっぱり旨いのです。もうかれこれ10年、ほぼ毎年食いに行くほど、お気に入りと言っても過言ではありません。以前、SIDEKICKさんが茨城まで届けてくれたことがありました。元来、はるばる新井まで出かけて行って食うことのできるとん汁であったため、自宅に居ながらにしてこの味を堪能できたことは、驚くべき慶事でありました。

また今年も妙高へは出かけていく予定ですが、今度は仙台から走るわけで、この距離感はますます「行ってなんぼの味」を極めるのだろうと思っていたところです。

そしたら、作戦室に遊びに来てくれたふっじいくんが、このとん汁を持ってきてくれました。

「なんか、最近お土産の定番らしいので」(そんなことねーよっ)

うへー・・・だからさ、新井の街は遠いのだよ。そんなに離れたところのとん汁を、仙台で食えるですか! もう思わず鍋に火をかけましたよ。しかしふと気になって台所のシンクの扉を開けてみたら・・・包丁はあるのにお玉がないという(なにをやってんだか)。いっぺん火を止めて、近くのスーパーまで買いに行きましたよ。さらによくよく考えてみると、実は作戦室にはいまだに炊飯器が導入されていないのでした。これはいかん、だけど今から電気屋に行くのもおっくうだと、電子レンジで一合炊きできるという耐熱調理用の器を一緒に買ってきましたよ。

自炊してないのがバレバレだよなあと、買い物から戻って、決定的なことに気が付くのですが、こんな状況だから、米があるはずがない。うーむ・・・そこはどうにもならんだろうと、念のために車の中を点検してみたところ、新年会の際に調達した米が足りなくなった場合に使うかもしれないと用意しておいた予備の米が、まだそのまま積み込まれたままでした。よかったよかった。これで晩飯はとん汁定食を作ることができます。

・・・外食ではないのに定食って、なんだよそれは?

熊そば

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東北版つくばーど初の企画は、sugiさんお誘いの熊そばを食いに行くツーリングとなりました。内容は、だいたいこんな感じ。宮城県栗原市の「狩人」まで、作戦室からだと70キロというところです。

sugiさんちと、ふっじいくんは、それぞれの行動計画に基づき土曜日から松島で牡蠣をはじめとする海産物うまいものめぐりを、TA01Wさんとricoさんは石巻まで足を伸ばして観光しておりました。僕は盛岡での仕事が終わり次第仙台に戻り、合流して牛タン定食夜会から参加です。2次会は作戦室での飲み会にて、エスク談義と大樹君の進路相談と、ふっじいくんの・・・以下略。

sugiさんは、5年ほど前に「狩人」に行ったことがあって、熊そばのうまさに魅了されたそうです。唐辛子の量を調節して辛味を出した汁に、やわらかめの蕎麦とともに、熊肉が入っています。この汁は一緒に出てくるご飯にかけて食うのです。蕎麦が苦手な場合は、うどんで頼むこともできます。これらは定番の献立で、予約によって注文出来値料理としては「熊どんぶり」「鹿ステーキ」「熊大トロ」などもありますが、予約したうえでさらにご主人が食材を獲ってくることが前提となるため、ちょっと手軽には食えないのかもしれません。

はやぶさ

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乗ってきたぜ、と言いながら、実ははやぶさが5日から一般運航開始だということを知らずに乗っていました。しかし仙台と盛岡の間だと、時速300キロは出ていないので、はやてに乗ってもたいして時間は変わらないみたいです。

遂に来たかも・・・

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フロントデフが変調を来しているようです。これだけの距離が出ているから驚くことではないのですが、オーバーホール時には異常なしだったのに・・・ 一度目は四駆が抜けずにギアを噛んでしまったこと。二度目は四駆が抜けたあとのバックラッシュ(あ、これはトランスファの方か?)。油漏れはないけれど、アクチュエータの劣化やらエアホースの老朽化なども進んでいるので、どのあたりが直接の要因かを見極めなくてはならないです。できれば車検まで異常発生しないでほしいんだけどなあ。とりあえずFRでは問題ないけど、土曜日は盛岡まで仕事に出かけなくてはならない。今回は、はやぶさで行ってくるです。

大安売り だから人気?

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200人近いスーパー戦隊勢揃いを「35作品めのお祭りだから」とやってのけたかと思えば、「40周年だよ」と歴代の仮面ライダーをまたまた勢揃いさせてしまう、やけっぱちなのか商魂なのか判別つけにくい今春のライダー映画は、90分にわたっていろいろな仕掛けをちりばめるのだとか。

つまりは子供から「見たい」とリクエストされたときに、とーちゃんも(へたするとじーちゃんやばーちゃんという場合もあるのではないか?)ちょっとは見てみたいと思わせる企みでしょう。歴代悪の大幹部も、すべてオリジナルとはいかないでしょうが、出られる人はほぼ出てくるらしいです。

しかし、制作サイドさん。大きな勘違いをなさってます。

「藤岡弘、佐々木剛 宮内洋 納谷悟郎各氏はそれぞれ仮面ライダー1号、2号、V3、ショッカー首領の声を担当する夢の実現」

って、あなたそんなことはやってのけても当たり前のことではないですか。そこにあえてエポックを見出そうとしているのは、これを裏返せば、もはや往年の本郷猛、一文字隼人、風見志郎をそのままの姿で登場させることは叶わないからという現実を突きつけられていることなのです。納谷さんの声にしたところで、ここ数年の銭形警部を見れば明らかなように、衰えを隠すことはできなくなっていて、「仮面ライダーtheNEXT」のときに首領として復帰していた折にも、あの怖い声の迫力はなくなっていた。

いやひょっとすると、誰かしら往年とはいかぬまでも素顔で出てきて「変身」を披露するのかもしれませんから、そこには淡く期待を寄せていますが、いきなり仮面ライダーに出てきてもらっても、あんまりうれしくないのが、とーちゃん世代の心理ではないかと思うし、記号化された「仮面ライダー」と、存在自体が仮面ライダーである連中との壁は、なにをやっても埋めつくせないような気がするのです。せめて、仮面ライダーである以上は、役者さんを並べることができないなら、サイクロンから1台残らず、すべてのライダーにバイクをあてがうべき(仮面ライダーシンをどうするかはちょっと一考)で、ニューサイクロン2台とハリケーンだけでお茶を濁して、あとのライダーたちはのっしのしと歩いてきたなどという、ディケイドの映画のようなことをやってはならないのです。

もう一つの勘違いは、これだけぞろぞろと出てこられることの興ざめ感は棚上げされているエンターテイメントの功罪。ショッカーの改造人間は、せいぜい2体くらいで暗躍してくるからリアリティや怖さがある。1体だったら爪の先にまで神経使えと演出もできましょうが、これだけいたら、ただ突っ立っているだけ、素のままで走り回る「キグルミ」というのが必ず出てくる。そういうのに限って、画面で目立ってしまうものです。このポスターだけを見ていても、なんだってほっぺたふくよかなアクターをライダーマンに起用しているのか、マダラオオトカゲのはずのアマゾンライダーが、つい猫みたいな拳のポーズで決めているなど、やれやれな出来栄え。1号、2号に至っては、お前ら気合いたりねーぞという力の抜けた姿なのです。

スーパー戦隊と仮面ライダーしか作れなくなってしまっているとは思わないけれど、やっぱりクリエイターとしての創造力は低下しているとしか感じられない、40周年というキーワード。財産を大安売りするよりも、思い切ってこんなのやめちゃったほうがいいよと言い切りますが、言うだけ言いながらも、たぶん映画館には行ってきます。

20年経っちゃったよ

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正確にはこの写真は3月4日に撮影したものですが、1991年の3月3日には、あわやルージュやらクレヨンやらで落書きされたり空き缶をくくりつけられたりしそうになるのを回避しながら、挙式やって披露宴やって2次会やってもらって、ほぼその足で出発してここへたどり着いたのです。

寒いことは寒い日和でしたが、シーズン的には暖冬だったらしく、矢板から上がった東北道は全く凍結も積雪もなく、国道もまたドライコンディションでした。うーん、20年も経っちゃったのかー。いま遊んでもらっている仲間たちのことを、風花さん以外誰一人知らない若気の至りの時代です。

この頃、2年目の1型エスクードは、まだ100000キロも走っていなかった。もちろん月軌道まで走るなどという発想もなく、乗り換えたらまたエスクード・・・という思案もしていなかったわけですが、飽きることもないだろうなと感じてはいました。その顛末が現在のエスクードライフにはまり込んでいくのです。自分だけがはまっている分にはいいのですが、かなりよそ様を巻き込んでいます。この場所なんか、メジャー扱いされているのはSレイドくらいでしょうから。

ここまで歳を食うともはや照れも何もありませんで、こういう道楽が続けられるのは、家内の支えあってのことだよなあと思います。最初のエスクードは結婚資金(僕の預金ね)を取り崩して現金払いで買っちゃいましたからね。家内にとっては仇のような車と言っても過言ではなかったはずです。そういう車を次々と買い足し、乗り継いでいるのだから、それを黙認してくれる懐の深さには感謝せねばなりません。

いや、ほんとだってば。今週末は帰らないけどさ・・・