Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

らいのす再び

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らいのす、というネーミングは、以前BLUEらすかるがエンジン換装で入庫したときに借り受けることとなったTDB4Wのことで、このエスクードはご覧のとおり車体色どころか排気量も異なる、全く別のTD94Wです。

でも、このエスクードにも「TECH(テック)らいのす」というコードを与えました。

横文字の方には特に意味はありませんが、例によってキーボード日本語打ちで表現されています。つまり、つくばーど採用第八番目のエスクードが、これなのです。長期にわたって使用するのではない、変則的な代走車ですが、ときどき出没いたします。

このエスクード、実は僕が乗るのは二度目です。え? いつ乗ったんだ、と思われましょうが、2005年6月に三代目エスクードのV6が初登場した折、ディーラーのご好意にて試乗させていただき、つくばーどやESCLEVのレポートを書く素体となってくれたエスクードなのです。

http://tsukubird.org/td94w-XS/01.html

これを借り受けたのは、土浦市にあるトーヨーレンタカー店さん。

http://toyo-rentacar.com/

代表取締役の安達さんはじめ、親切なスタッフが出迎えてくれまして、配車手続きをするなか、雑談をしているうちに、安達さんがスズキのディーラーから独立して興した会社であることがわかり、そのディーラーから買い付けたエスクードということは、あの94Wじゃないか。という展開となったのです。

このお店、扱っている車がスイフトスポーツあたりから「へえ」と思ってしまうのですけど、エスクードというのもいまどきマニアック。そればかりかKIZASHIも置いてあるのです。うーむ、地元にこんな楽しいレンタカー屋さんがあろうとは・・・

 

SURAJI

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「SURAJI THE RISINGSTER」の放送が、同企画を実現させたインドにおいて開始されたことが、テレビニュースでも報じられました。あの「巨人の星」を野球からクリケットに置き換え、インド版の立身出世物としてアニメーション化したのがこの番組。えー? それだけのことでNHKがニュースとして取り上げるのか? と思っていたら、出てきたのがおっとびっくりなこのシーン。

なるほど、日本や日系企業がこの番組のスポンサーとして提携することで、各社とも自社製品を劇中にて宣伝できるというところがニュースバリューだったようです。コクヨ、日清食品、ANA、ダイキン工業などに連なり、マルチ・スズキが参画していました。

ドライバーは制服と制帽のスタイルであることから、助手席の登場人物の方がドラマに絡んでくるのでしょう。主人公の星飛雄馬にあたるインド版の青年・スーラジのライバルで、企業家の御曹司・ヴィクラムというキャラクターだそうです。するとなにか? これは「巨人の星」における花形モータースへのオマージュというわけか。

さすがにマルチ・スズキの御曹司、ましてや本家スズキの・・・というわけにはいかないでしょうから、「企業家の息子」になるのは無理もないことです。しかしそうですか、グランドビターラに乗っちゃいますか。

忘年会の実景

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この面々だったら姿を撮しちゃってもいいや。というわけで、忘年会スタートです。雪が降るかなと思われましたが、県北にもかかわらず、パークアルカディアは水戸よりも暖かで、ベランダにて焼き鳥を焼いてます。

あー、ことしもイベント締めくくりまできたなあ・・・と言いたいところなんですが、実はこれから、30日にプレ行く年来る年な夜会が・・・

 

暦の基準

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太陽黄経が270度になると、地上(主に中国や日本)では冬至として暦のひとつの基準を示してきました。例年だと12月22日にあたるのですが、たまにそれが1日ずれ込むことがあって、ことしは昨日21日が冬至に該当しました。

世間では、五千数百年に及ぶ古代のマヤの暦が終わる日だとかで、22日に滅亡が始まるとか何とか世界各地で大騒ぎであったらしいですが、東洋じゃことしは既に、予言より1日早く暦がリセットされているということです。

まるで流れ弾

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円谷プロダクションの映像ソフト宣伝リーフレットの表紙。前回、直撃されたコレクションは、手元にやってくるので着弾ですが、これらのエンブレムが商品化されるかどうかは定かでないので、今のところ流れ弾です。しかしウルトラシリーズ以外の防衛組織などが掲げていたエンブレムが網羅されるというのは、この手のデザインにはまった世代としては、流れ弾のままにしてほしくない願望にとらわれます。だけど画竜点睛を欠くというか、ソフト化されていない悲哀で、「トリプルファイター」に登場した『SAT』のエンブレムが無い。そこが残念。「トリプルファイター」には「銀河連邦」という宇宙規模の秩序組織が存在し、この銀河連邦という言葉は、「ウルトラマンエース」とつながっています。

そのことも、このリーフレットには書かれており、そのつながりが数十年の時を超えて「ウルティメットフォース・ゼロ」(ウルトラマンゼロを中心とするリメイクヒーローたちの共演防衛チーム)を生み出したとまで詠っているのですが、いかんせん映像ソフトがないので、網羅されていない。

いや待てよ、そういうファン心理を利用して、そのうちウルトラマン映画の新作に、トリプルファイターだとか電光超人グリッドマンを復活登場させるとか、恐竜探検隊シリーズとコラボレーションさせるという資産運用の布石なのか? なにしろウルトラマンゼロの映画なのに、艦隊戦のモブシーンにマイティジャックが知らんぷりして出ていたくらいだから・・・

忘年会の風景

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つくばーどのイベントではなく、仕事先の方。霰や霙よりはずーっと年上ながら、でも世代で言ったら僕なんかもう彼女らの父親より年上なんじゃねーか? というオヂサンになってしまったのよ。

でも、なんだかなーと思うのは、たぶん僕の方が精神年齢が幼い(汗) というより、おまえらなんでそんなにオヤジなんだよ? と、思うぞ。

 

いざなわれてきました

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「偶然も三度までは信じることにしているんだ」と言ったのは(あれ? 二度、だったかな)警視庁捜査課の松井孝弘警部補でした。今月、蕎麦屋絡みでその三度を使い切ってしまったので、次に何かあったらそれは必然に違いないと思っていたら、

「雷蔵さん、ちょっとエスクードのバンパーを仙台在住のユーザーさんに届けてくれない?」

と、AMGさんが言うのです。そりゃあお安いご用と二つ返事で預かり、週明けに地元から仙台へと搬送して、AMGさんから紹介されたdatezoさんと待ち合わせしました。

聞けばdatezoさんは何年も前に白いTD51Wと出逢い、

「あんな車が欲しい!」

とこれまた数年をかけてエスクードを探し当て、最終型のTD01Wを手に入れたそうです。なぜ01なのかといえば、フロントマスクのデザインが、51よりも好きになったから。ところがdatezoさんの気に入ったデザインとは、TA01Wの3型までのもので、いわゆるノマド用のものではなかった。だから自らパーツを集めて、フロント周りをショート用デザインに変えたいのだそうです。

こんなエピソードを聞くと、どんな場面で最初の51Wと出逢ったのだろうと気になって尋ねてみたら、

「以前、岩手県の一関にいたことがありまして、その頃の話です」

えっ?

「あの、それってひょっとして、ちぃ♪さんという人のエスクードではないかな・・・?」

「はい、その通りです。実際にお目にかかったこともあるんです」

なんと懐かしい人の名前が出てきたことか。90年代、先発のエスクード取り扱いサイトのひとつ、「4WD Draft」を運営していた、あのちぃ♪さんと、そのエスクードのことでした。それも、一関というのも偶然で、ちぃ♪さんは当時、仙台から一関に転居している経緯があり、datezoさんはすれ違うことなくコンタクトできていたことになります。ちぃ♪さんは2008年夏のESCLEVの東北ミーティングのあと、エスクードを退役させていますから、エピソードはそれ以前に遡るのです。

人同士の縁というのはあるんだなあと、しみじみと感じさせられるお話でした。エスクードの現行モデルがデビューしたあとでありながら、次に乗るのはこのクルマ。と、初代モデルを何年もかけて探してくれるなどと、datezoさんのお話はついつい嬉しくなってしまう数年間を手繰り寄せてきます。

「実は、BLUEらすかるとも何度かすれ違っていました。おー、仙台にいるんだ、と思って、つくばーどとブログは毎日見に行ってます」

すすす・・・すいませんっ、言われてみれば言われた街のあたりで白い5ドアとすれ違った記憶はあるのですが、いやそれは声でもかけてもらえないと・・・と、こちらは恐縮するしかありません。

かくしてAMGさんからのバンパー引渡しは無事に完了し、今度はミーティングにも遊びに行きますよという対話も弾み、もうこれは偶然ではなかろう、来年は宮城か山形でなにかやらねばならんという意欲を沸き立たせていただいて、らいとにんぐな夜会はお開きとなるのでした。

 

 

いざなわれているとき

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「いざなう」という言葉を変換すると「誘う」・・・になってしまうのが、なんだか読み違えているようで好きではないのです。いやその、いざなうもさそうも、同じといえば同じなのですけど、自分の中ではちょっとニュアンスが異なるつもりでいるのです。

言葉遊びの話ではないです。先日、近所で「こんなところに蕎麦屋があったか?」と、通りかかった民家に立ち寄ってみたら、上田のおお西で修行したという青年が開店させた、十割と発芽蕎麦の店でした。十割と言われると、最近は良いところに巡り会えず敬遠気味だったので、興味本位で食ってみようと暖簾をくぐったのです(おお西、の話はくぐったあとに知るわけですが)

偶然にも、上田のおお西と、そこの発芽蕎麦は食ったことがあります。それを伺って、おお西の打ち方の十割だったら悪くないじゃん、だとか、発芽蕎麦ならもちもちとしていて、近所にあったパサパサの十割とはわけが違うじゃん。などと、その気になってしまうわけです。いろいろ試してみたくて、更科と発芽と、実ごとすりつぶして打つ田舎の盛り合わせを頼んでみます。

どれもこれも瑞々しい味わいで、わざと日差しにかざしていてもパサパサにならずに食えるというのは、嬉しい十割です。そばつゆの方は、もちっと辛味があったらいいなあと思うのは、これは個人の好みか。あっさりしすぎなのだけれど、そば湯でといてすすってみると、ちゃんと味が出ています。

それにしても、いつの間にこんなお店ができていたのだろうと尋ねてみたら、店主のお母さんが、震災のあと、4月に開店したことを教えてくれました。ああ、そうだったのかと。でもその頃のこちらだって地震被害は大きくて、停電や断水は直っていてもいろいろなライフラインの回復には遠かっただろうに、忘れがたい開店だっただろうなあと思いました。

さて、だから何に誘われているんだ? となるのですが、ちょっと得したぜ。と思いながら仙台に戻ってきて、同業者との集まりに出かけて行ったら、山形県出身の同業の女の子が

「雷蔵さんっ、日曜日においしい蕎麦屋を見つけたのよっ」

と教えてくれて、それが市内からさほど遠いわけでもなく、しかし旧道の市街地にあるため鉄道路線とはかけ離れており、車でないと出かけていくのは大変ながら、もとが農家だったために駐車場は広々としているというのです。

おいおい、もう20年近く仙台の人であろうあなたがわざわざ「見つけた」ってのは、新装開店の店なのか? と聞き返したら、

「もとはパン屋だったけど、母屋を蕎麦屋に改装して去年の4月にオープンした店」

え? 蕎麦屋にして去年の4月の開業?

そりゃまあ、そういう偶然もあるよなと、話をたよりにそのお店に出かけてみました。僕の地元で見つけた店よりも大掛かりに屋敷を改装して、店員も数人使っての立派な店構え。古民家を活用するというのは、当節の飲食屋の流行なのですね。そして、上田仕込みと決定的に異なるのは、山形蕎麦の店であること。もうこれでもかというコシの強さに圧倒されました。実は山形の蕎麦というのは、この夏に冷たい肉そばを食ってみたことがありましたが、それは夏だったしなあと、今回はもりそばでつけ汁にしたのです。そこはどうも選択ミスであったらしく、ひょっとするとここの蕎麦は、温かいやつの方がうまいのかもしれないという印象でした。

さて偶然見つけた蕎麦屋から偶然知っている味わいの発芽蕎麦と再会して、仙台では偶然にもその蕎麦屋と同時期に開業したという蕎麦屋を訪ねることとなったのですが、「偶然は三度までは信じていい」らしいので、ここまではボーダーライン。しかし、何かにいざなわれているのではないか? という心理もまた働いているのです。

 

はたらくお嬢さん

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1978年12月17日、苫小牧の酒屋の夫婦に、元気な女児が誕生しまして(多分間違いなく、元気だったであろうと思います)、この娘が20年後、警視庁警備部に新設されていた特殊車両二課に配属されて、2001年まで警察用パトロールレイバー98式AVの専任操縦者として働いていました。その後2002年の2月末ごろまで、彼女の活躍は記憶されているのですが、そこから10年の歳月は謎のままです。

順当なら嫁に行ってしまったのだと思われますが、最後の活躍が厳密には犯罪行為でもありましたから、真相は定かではありません。

彼女ももう34歳。そこそこには落ち着きの出たご婦人になっていることでしょうけれど、わざわざ後日譚なんか作ってもらいたいわけではありません。ただ、さらに10年してから、つくろうかなどと言われ出したら、これは絶対反対だ。ってことは、今のうちなのか(何を期待しているんだ?)

つい停まりますよ

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谷田部から常磐道に上がったら、もういくらも走らずに7揃いになってしまう。といって本線上で停まるわけにはいかないから、どこかのインターでいっぺん降りなくてはと、残りの距離を脳内演算。インター三つめまで行けるかどうかが微妙な状況で、どきどきしながら三つめで降りたら、あと3キロ残っていました。

危ない危ない。しかしその3キロめがどこで差し掛かるのかでまたハラハラ。結局は常磐道の高架手前にあった広い路肩でこの距離に。うまいこと周りの交通に迷惑をかけずに済みました。

とはいえ、ぷらすBLUEがこれを刻むのは、二度目なのですが・・・